批評の王道

目と耳と舌の冒険

夕刊フジ連載山藤挿絵シリーズを探している過程で見つけた副産物に、都筑道夫さんのエッセイ集『目と耳と舌の冒険』晶文社)があった。いかにも都筑さんも夕刊フジに連載しそうな作家だから、最初はこの本も夕刊フジ連載本かと期待を抱いたが、結論から言えばそうではなかった。
本書は、「目」=映画、「耳」=落語・講談、「舌」=食をめぐる評論・エッセイ集といったおもむきのたのしい本である。山藤さんは、カバー装画と一部の文章の挿絵を担当している。都筑・山藤コンビといえば「なめくじ長屋」が有名らしいが、私は山藤さんがカバーを手がけた「なめくじ長屋」シリーズを持っていないので、多くを語ることができない。
本書は三部立てで、第一部は「江戸の夕涼み」「春がすみ、江戸の花見」「私の落語今昔譚」の3篇、第二部は「ペイパー・ムーヴィゴアーの弁」「辛味亭事苑」「私の映画遍歴」の3篇、第三部は「食道楽五十三次」から成る。
「江戸の夕涼み」「春がすみ、江戸の花見」「食道楽五十三次」は都筑・山藤コンビが、東京の町や東海道を食べ歩きながら江戸の名残をたずね歩くといった雰囲気の紀行文である。とりわけ「食道楽五十三次」は連載物の長篇で、二人が五十三次全宿場を訪れそこの名物(多くはお菓子)を食べ歩いた記録であり、一回分に一葉、一頁大の詳細な山藤イラストが付いている。
都筑さんという人は下戸なのか、上戸なのか、この文章を読んだだけでは判然としないところがあるが、少なくともグルメライターとしては一流とは言えないようだ。食べ物の美味しさがあまり伝わらないから。さらに、うまいまずいをはっきり書く。
このはっきりした物言いは都筑さんの思考の特徴とおぼしい。自らと落語との関わりをふりかえった「私の落語今昔譚」では、文楽より志ん生のほうが好きであるとし、「もしも落語家になっていたら、文楽のようになれたかも知れない」とまで書く。もっとも「あれだけの才能があって、努力をしたら、というファンタスティックな条件が」つけばとのこと。「ファンタスティックな条件」という言い方が何ともうまく、都筑さんらしい。
志ん生の場合、同じ条件をつけても彼になることは考えられないというのが都筑さんの説。そしてなぜそう言えるのかを論理的明快に説く。この文章ではさらに円生の噺についての疑問点を指摘し、その理由を述べて批判したり、実に論理的で説得力に富むのである。
この歯切れのいい批評は、落語の話題に限らず、映画やミステリ小説を批評した第二部所収の各篇にも共通するもので、面白い、つまらないをはっきりと示し、どこがどうだから面白いのか、つまらないのかを的確にわかりやすく説明する。批評とはこのようにすべきという見本のようなあざやかな文章である。
子供の頃に見た映画、聞いた落語の話は、そうした客観的な批評だけで満たされるドライなものでは決してない。昭和戦前期の寄席のしんみりした雰囲気や、ハイカラな娯楽だった映画館の喧噪など、ノスタルジックな空気が漂ってこれまた素晴らしいのである。