四文字の言語遊戯

巷談辞典

夕刊フジ連載山藤挿絵本シリーズをリストアップし、ひととおり見渡したうえで、既読の山口瞳『酒呑みの自己弁護』・吉行淳之介『贋食物誌』を除き、もっとも読みたいと思っていたのは、実は井上ひさしさんの『巷談辞典』*1(文春文庫)だった。
あの匠気に富んだ井上さんによる、3ページほどの短いエッセイが100回分、そう考えただけでワクワクしてくるではないか。しかもあの特徴のある顔はいかにも山藤さんにとっていじりがいがありそうだし、遅筆で有名な井上さんのこと、100回続きの連載などいったい大丈夫だったのかしらん、きっと山藤さんを困らせたに違いない、などといろいろな空想が浮かんでくるのだった。
めでたく本書を入手したときはことのほか嬉しかった。私には、欲しかった本が手に入ったとき、その本を枕元に置いて寝るという子供っぽい性癖がある。読むまではいかない。一種の就眠儀式のようなもので、寝る前に寝床でなでさすりながら、気持ちよく眠りに入ろうというわけである。
もっともいまのは勝手な理屈づけで、子供が縫いぐるみを抱いて寝るのと変わらないのだろう。だから井上さんの本が手に入ったとき、三晩四晩くらい毎日枕頭に置かれたのではなかったろうか。
本書のタイトルはすべて四文字の漢字になっている。「有為転変」「空理空論」「危機一髪」といったいわゆる四字熟語もあれば、たんに漢字四文字で構成された成句、普通名詞もある。「謹賀新年」「公衆電話」「女子大学」「国語辞典」のたぐい。まれに「銀座八丁」「浅草六区」「榎本健一」といった地名・人名が飛び出し、「出歯礼讃」「締切死守」などの自虐的成句が挟まる。「一二五五」という、タイトルを見ただけでは何のことだかわからない四文字もないわけではない*2

このつづきもの、その日その日のタイトルは四文字の成句である。四文字の成句を睨んでいるうちに書くべきことが決まる場合もあり、中身を書いてしまってから、その中身に適うような四文字の成句を探すこともあるが、それはとにかく、思いつくたびに四文字の成句を書きつけたノートをわたしは持っていて、その収納成句数は二千余に達した。ほんとうに日本語には四文字の成句が多い。(「一字訂正」)
吉行さんの場合タイトルはすべて食べ物になっていた。こういった縛りは100回連載へのある意味有効なモチベーションになるのだろう。思いついたことを気ままに書くという気楽さでは100回持たないのである。
内容としては、さすが井上さん、語呂合わせやもの尽くしなどの言葉遊びが楽しい。「余暇善用」では「ないないづくし」、「清濁併呑」では「世の中は澄むと濁るで大違い」という文句ではじまるもの尽くし、「有為転変」では74年版時事いろはカルタ、「女子大学」「劣等意識」では、大学名のもじり列挙(東京大学→頭狂大学、共立女子大→狂慄女肢大など)、「高等数学」では数式の語呂合わせ、「庶民願望」では「〜したい」尽くし、「美人薄命」では美人と麗人の違い尽くし、「弊衣破帽」では「一見○○、実は□□」の列挙、「佳句絶唱」では、「○○を売りに行ったら売り名を忘れ、□□はいりませんかいな」という寄席でよく聞く俗曲のもじり尽くしなど。これらにときおりピリッと社会諷刺も効かせている。
山藤さんの挿絵もこうした井上さんの言葉遊びに合わせ快調そのもの。顔ネタ・出歯ネタや遅筆ネタで著者をいじりまくっている。山藤さんの挿絵で一箇所気になったのは、「榎本健一」の一篇に添えられたイラスト。このイラストのなかに、
戦争前、お祭りの縁日ではエノケンやロッパや高勢実乗といったコメディアンたちの顔を模したセルロイドのお面を売っていた。
というキャプションが書き込まれている。
いまでもお祭りなどではアニメキャラクターや戦隊物キャラクター、ウルトラマン仮面ライダーなどのお面が売られているけれど、戦前はコメディアンのお面が売られていたのだ。「'42」と年記の入った山藤少年とおぼしき人物がエノケンのお面をかぶって刀を振りかざすイラストが描かれている。こんなお面、欲しいなあ。

*1:ISBN:416711111X

*2:ちなみにこの数字は、昭和48年10月現在までの、国土地理院発行五万分一地形図の数。