不易の東京肯定論

雑踏の社会学

先日近所の古本屋で、川本三郎さんの『雑踏の社会学*1ちくま文庫)の帯付本を見つけた。もともと持ってはいたのだけれど、帯が無くおまけに小口が削れているものだったので、これ幸いとダブり購入したのである。持ってはいたが未読だったから、この機会に読むことにした。
本書の元版(TBSブリタニカ)は1984年4月刊。文庫化は1987年6月。文庫化にあたり再編集したとある。読んでみると、たしかに84年以後の文章が収められているようだ(初出一覧がないので詳しいことはわからない)。
川本さんは1944年生まれなので、本書の元版が出たときはちょうど40歳。つまり元版収録の文章は30代後半から40歳にかけて書かれたわけだ。つまりいまの私とほぼ同年齢の頃のお仕事なのである(元版以後の文章を含めても43歳までのもの)。このころの川本さんは東京をどのように歩き、東京にどういったスタンスで向きあっていたのか、そんなことを念頭におきながら読んでみることにした。
結論から言えば、いまと変わらないところもあるし、変化も見られる。これでは結論でもなんでもないな。変わらない点、変わった点、それぞれ見てみよう。
本書のメインは第2部にある。新宿・渋谷・吉祥寺・池袋・赤坂・銀座の町歩きルポである。「あとがき」によれば『サントリー・クォータリー』に連載された盛り場歩きだという。路地を歩き、路地裏にある大衆居酒屋に飛び込む。現在のエッセイに見られるような嗜好性はすでにこの頃からあった。いっぽうで、連載の趣旨ということなのだろうか、最先端の流行にも目を配る。いまではあまり新しいものについて触れることはないのではなかろうか。
その他本書で触れられている町は、上の町に加え、阿佐ヶ谷、荻窪麻布十番、神泉。さらに、第5部「場末回遊」では、洲崎、浅草、高井戸、赤羽、茅場町、大久保。東京に関する情報の氾濫によって、もはやこれらの町は場末とはいえなくなった。こうした町を場末の地点から引き上げたのは、逆説ながら川本さんの文章の力が大きいような気がする。
ところで元版刊行は84年だから、バブル景気を目の前にした時期にあたる。文庫版が出る87年あたりは徐々にその気配が濃厚になってきていた。「東京はいま激変中である。地価が高騰している。古いいいビルがどんどんなくなっている。地揚げ屋が暗躍している。東京のイヤな面が露骨に出ている」と「あとがき」にある。
神保町に触れた文章では、古本屋街の様変わり、駿河台下交差点から小川町交差点にかけての靖国通りスポーツ用品店の賑やかさに言及されている(「地下鉄が変えた東京の「点と点」」)。そういう変化が注目された時代だったのだ。
「イヤな面」が露骨に出ている時代であっても、川本さんは東京を見捨てない。「そういうイヤなことも東京という町の魅力であり、エネルギーなのだ」とあくまでプラス志向である。

東京での暮しを享受している限り、あまり「昔はよかった」といってしまうのは非生産的である。(…)その意味で本書は八四年の時点でもいまでも「東京肯定論」である。
前半の文章だけ読むと「あれっ」と思ってしまう。どちらかと言えばノスタルジックで懐古的東京論者であるはずの川本さんなのに、それが「非生産的」だなんて。でも後半、東京肯定論であると言われると、これはいまでも変わっていないはずだと強く頷く。
いまの川本さんは、東京肯定論に立って、「昔はよかった」と後ろ向きになるのでなく、昔の東京の姿を、地方都市や場末の路地裏に、映画に、本に、絵画に見つけていこう、そんな姿勢で東京と向きあっているのかもしれない。坪内祐三さんではないけれど、「後ろ向きで前に進」んでいるのだ。