絵と文章、涙の再会

午後のヴェランダ

年頭「山藤章二強化年間宣言」(→1/9条)を打ち上げて以来、主として山藤さんが「夕刊フジ」で作家と組んだ100回連載のシリーズを手始めに蒐集を開始した。一覧は1/20条にまとめている。
夕刊フジ」連載エッセイ15本のうち、唯一手元になかったのが渡辺淳一さんの連載分(原題「努力してもムダなこと」)である。本になっていることすらはっきりしないから、手に入れようがなかった。あれだけの人気作家なのに、いざ調べてみると簡単にわからないことがあるものである。
強化年間宣言のあと、mouko28さんから貴重なご教示をいただいた。渡辺さんのエッセイ集が刊行されているとしても、山藤さんのイラストは収録されていない可能性が高いというのである。
昨日、幸いなことに書友ふじたさん(id:foujita)から、mouko28さんが指摘された山藤さんの著書『イラストエッセイ パンの耳』集英社文庫)を頂戴したので、さっそく調べてみた。書名にもなっている「イラストエッセイ パンの耳」は、編註に夕刊フジ(1976/9/7〜1977/1/1)に掲載されたとある。『ワタクシ絵日記 忘月忘日2』によれば渡辺さんの連載は1976年に連載されたから、時期は一致する。
実際見てみると、シリーズおなじみの縦長の図面のイラストが60ページちょっとつづき、渡辺淳一さんとおぼしき人物が描き込まれているので確定的となった。もっともいまページ数を書いたとおり、イラストは65葉しか収録されていない。基本的に100回連載ゆえ、省かれたイラストがあるわけだ。すべて網羅されていたら狂喜しただろうに。残念無念。
mouko28さんがご紹介下さったように、この「まえがき」が興味深い。

 僕はイラストレーターとしては恵まれている方で、まとまった仕事は単行本や文庫になることが多い。例えば夕刊紙で作家のエッセイに絵をつける百回連作ものも、ほとんどがそのまま単行本と文庫に収められている。
 ところが稀に、単行本に絵は不要といわれる作家がいて(勿論、作品の雰囲気からそういうことは有り得ることで)、その絵はスクラップブックに眠ったまま、ということになる。
そんなスクラップブックで眠ったままのイラストが、サンドイッチを作るとき切りとられる「パンの耳」にたとえられている。
それではいったい、本体の「サンドイッチ」はどこにあるのか。それが偶然にも今日判明したのである。
妻が江東区大島に買い物に行くというので、これ幸いと同伴を志願した。妻と次男は大島に買い物に、私と長男は西大島で下り、たなべ書店西大島店へと向かったのである。たなべ書店は「強化年間宣言」の初発の時点で訪れ、多くの山藤挿絵本を入手したのだが、そのとき渡辺淳一さんまでは考えが及ばなかった。
店に入る前に、店の壁面に作りつけられた背の高い棚にずらりと並ぶ店頭本を眺める。渡辺淳一さんの本は、新潮文庫がパールグリーン、文春文庫が紫色で目立つ。原題の「努力してもムダなこと」というタイトルの著書がないことはわかっているので、小説らしくないタイトルの本を見つけ次第抜き出し中味をあらためる。
そして引っかかったのが『午後のヴェランダ』*1新潮文庫)だった。目次を見ると、上下二段にタイトルがずらりと並んでいる。いかにも100回連載をまとめたものらしく見える*2
初出情報は示されておらず、元版が1979年11月に新潮社から刊行されたことが書かれてあるのみだったけれども、前日頂戴した『イラストエッセイ パンの耳』で眺めていたイラストになんとなくしっくり合いそうな文章・タイトルがあって、さらに「梯子酒」という一篇が「世の中、努力しても無駄なことって、すごくあると思う」という一文から始まることから、やはりこのエッセイ集に違いないと確信した。
一日違い、相前後してイラストの本と文章の本が手に入るなんて、このうえなく嬉しい偶然である。元の情報を教えていただいたmouko28さん、『イラストエッセイ パンの耳』を恵んでくださったふじたさんのおかげで、『午後のヴェランダ』にたどり着くことができた。感謝申し上げます。
ちなみに新潮文庫版『午後のヴェランダ』には、カバーイラストも担当している原万千子さんのカットが添えられている。山藤さんの画風とはまったく異なるもので(書影参照)、渡辺さんは「作品の雰囲気から」山藤さんでなく、原さんを選んだということになるのだろうか。原さんのイラストとは関係なく、山藤さんに失礼な気がしてならない。
いずれにしても、『午後のヴェランダ』を読むときには、片方の手に『イラストエッセイ パンの耳』を持ち、文章と挿絵を絵合わせしながら読むことにしよう。

*1:ISBN:4101176086

*2:帰宅後数えてみたら96回分あった