庄野潤三も強化年間

ピアノの音

先日『せきれい』(文春文庫)を読み、庄野潤三さんの作品世界に魅了された。同書は、結婚50年を迎えた老夫婦の日々の生活を書いてみようという意図のもと、1995年から営々と書き継がれているいわば「老夫婦物」とも言うべき一連の長篇小説の、第三作目にあたる。
はじめて読んだ『せきれい』に違和感を感じなかったように、これら長篇群は単独作品として楽しむことができる。ところが私の悪い癖、コレクション癖と妙なところで律儀な性格から、せっかく読むのであれば、最初の作品から読まねば気がすまなくなってきてしまったのだった。
いつものように、今後の参考のために「老夫婦物」リストをまとめておきたい。

庄野潤三「老夫婦物」リスト(参考:講談社文芸文庫『ピアノの音』巻末年譜・著書目録)

  1. 『貝がらと海の音』(新潮社1996→新潮文庫2001)〔『新潮45』1995.1-12〕
  2. 『ピアノの音』(講談社1997→講談社文芸文庫2004)〔『群像』1996.1-97.1〕
  3. 『せきれい』(文藝春秋1998→文春文庫2005)〔『文學界』1997.1-12〕
  4. 『庭のつるばら』(新潮社1999→新潮文庫2003)〔『新潮』1998.1-12〕
  5. 『鳥の水浴び』(講談社2000)〔『群像』1999.1-12〕
  6. 『山田さんの鈴虫』(文藝春秋2001)〔『文學界』2000.1-12〕
  7. 『うさぎのミミリー』(新潮社2002)〔『波』2001.1-12〕
  8. 『庭の小さなばら』(講談社2003)〔『群像』2002.1-12〕
  9. メジロの来る庭』(文藝春秋2004)〔『文學界』2003.1-12〕
  10. 「けい子ちゃんのゆかた」(未刊行)〔『波』2004.1-12?〕

未刊行を含め計10作、うち最初の4作品までが文庫化されている。坪内祐三さんが『文庫本福袋』(文藝春秋)で『庭のつるばら』を取り上げた時点では、『貝がらと海の音』『庭のつるばら』の新潮文庫2冊しか文庫に入っていなかったため、坪内さんは『ピアノの音』『せきれい』の早期文庫化を強く望むと書いている。これが功を奏したのか、『ピアノの音』は昨年、『せきれい』は今月文庫化され、めでたく第一作から第四作まで文庫で読めるようになったわけである。
95年から昨年まで営々と連載が続いているシリーズ、今年もどこかで始まったのだろうか。リストを見てみると、面白いことに新潮社・講談社文藝春秋という三つの大手文芸出版社のローテーションでこのシリーズが続けられていることがわかる。とすれば今年は講談社の順番。『群像』を確認したらはたして「星に願いを」という新連載が始まっていた。さらに今年4月には、昨年連載されていた「けい子ちゃんのゆかた」が新潮社から刊行されるのだろう。
さて、『せきれい』読後、我慢ならず書籍部で『貝がらと海の音』『庭のつるばら』2冊を買い求めた。『ピアノの音』もあったのだが、これは見送った。というのも、上記新潮文庫の2冊も含め、ことごとく小口が削られていたためで、これでは読む気がそがれてしまう。
新潮文庫の2冊はそれぞれ単価が安いから、今回購入したもので読むことを我慢しても、いずれ削られていない(またできれば帯付)の文庫本を見つけたときに買い直すこともできる。ところが講談社文芸文庫は高いから、なかなかそうはいかない。
そこで、ひょっとしてあそこならあるかも…と望みをもって堀切の某古本屋を訪れたところ、見事に削られていない『ピアノの音』があったので飛び上がりたいほど嬉しかった。ついでに読売文学賞受賞作の『夕べの雲』も入手。半額なので得した気分だ。
新潮文庫講談社文芸文庫だけでない。ちくま文庫もそうだが、いったん版元(もしくは取次)に返本された文庫本の小口を削ることをやめてもらえないものだろうか。多くの人の指が触れたとはいっても、そんなに汚くなってはいないだろう。小口が削られているよりは、多少の汚れなら我慢する。こんなところにこだわる私も愚かなのかもしれないが。
ところで「老夫婦物」の第5作以降が文庫化されるのはいつになるだろう。文庫化のスパンを見ると、売れ筋の作品のように3年という短いスパンではない。しかも講談社文芸文庫の場合、単行本の記憶が新しい作品を入れるという例は珍しいだろう(だから『ピアノの音』は異例かも)。でも、この庄野作品は根強い愛読者がいると思われる。ぜひとも3年間隔で文庫化をしてほしいものだ。
そうして読んでいくうち、いずれ文庫では待ちきれなくなり、毎年単行本を求めるようになってしまうのだろうか。小林信彦さんの「人生は五十一から」のように。