間取りで見る日本近代住宅史

「間取り」で楽しむ住宅読本

近代住宅史を専門とする内田青蔵さんの新著『「間取り」で楽しむ住宅読本』*1光文社新書)を読み終えた。
この本は書名が誤解を与えそうだ。新居建築を考えているような人は、タイトルを見て、間取りを考えるさいの参考書として手に取るかもしれない。逆にそういう本だとはなから決めつけ、手に取らない人がいるかもしれない。私も最初は後者の反応をしたけれど、同潤会に学べ―住まいの思想とそのデザイン』*2(王国社、→2004/2/26条)の著者の本だからと手に取りめくってみたところ、「間取りで見る日本近代住宅史」といったおもむきの本だったので、購入したのである。
よく言われることだが、戦前庶民の一般的な住宅形態は、借家が主だった。本書によれば、大正末年時点で中産階級の93.3%が借家であり、昭和43年に至り、持ち家が借家の割合を逆転したという。

こう考えてくると、〝間取り〟を描いたり、あるいは、描かれたものを眺めて楽しむという行為が一般の人々の間で日常化するのは、まさしく、近代以降の〈持ち家〉化とともに起こった現象、と考えられるのである。(5頁)
近代以降の〈持ち家〉化とともに人びとは理想の間取りを頭に思い描くようになる。その過程で、住宅を構成する各部屋に対する考え方がいかに変化してきたのか、本書では、玄関、居間、台所、客間、子供部屋、寝室、トイレ・風呂というパーツに分類し、それぞれに対する「言説」の変化を追いかけ、最後に、現代および将来における間取りのあり方について提起をする。
本書のなかで、家の各部屋をパズルの一ピースとしてバラバラにし、それらを自由に組み合わせ「理想の間取り」を作りあげる付録が付いた『建築間取自在』なる本が紹介されている。この本が出たのは大正13年(1924)である。
ところで内田さんの見取り図によれば、現代における間取りの流れは、〈個室系〉と〈開放系〉に二極分化しつつあるらしい。ホテルの個室のような画一的な部屋が数部屋並び、中心に家族の共有スペースがある〈個室系〉と、ひとつの大きな空間を家族でシェアし、それぞれの区画には扉などを取り付けない〈開放系〉。こうした間取りの変化は、当然ながら家族・家庭のあり方の変化に対応していることになる。
本書を読んで興味深かったのは、「文化住宅」の話。これまで私は、文化住宅を「文化的な生活を行なうための住宅」といった抽象的な概念だとばかり思っていた。ところがこれが固有名詞だったとは。
1922年4月から7月にかけ、東京府第一次大戦終結による世界平和の到来を記念して上野で開催した「平和記念東京博覧会」の会場の中に設けられた実物住宅展示場の総称を「文化村」と呼び、ここで展示された「理想の住宅」が「文化住宅」として普及したとのこと。この文化村は住宅展示場の嚆矢でもあった。
玄関を取り上げた第一章では、もともと客を迎えるための玄関を必ず備えていた日本の住宅が、近代以降洋風化の波で玄関を設けない洋風住宅が流入したとき、それをどのように折衷して洋館に玄関を設けていったかという流れを追っている。そこでは比較的早期の洋館である湯島の岩崎邸や鹿児島の鹿児島紡績所技師館が紹介されている。
これとともに、京都の新島襄旧邸も紹介されていた。この邸宅は、原則的に玄関を設けず、周囲のベランダが玄関の土間の代わりをしていた洋館と似たつくりではあるが、別に玄関を設け、そこで靴の着脱を行なっていたことが明らかにされる。
たまたま本書を京都出張のさい携え読書中だったのだが、用務先のすぐ近くに偶然この新島襄旧邸を見つけ驚いた。京都御所の東隣、寺町通りに沿ってこの旧邸はある。一般公開期間ではなかったため、内部を見学することはかなわなかったが、瓦屋根で、白壁に茶色の柱がむき出しになったもので、外面もまた和洋折衷というおもむきのユニークな邸宅だった。そんな偶然の出会いによっても、本書は記憶に刻まれることになるだろう。