絶妙のコラボレーション

贋食物誌

山口瞳さんのエッセイ集のうち何が好きかと問われれば、『酒呑みの自己弁護』新潮文庫)を第一にあげる。「男性自身」シリーズもむろん好きで、本書とさほど内容的にかけ離れているわけではないのだけれど、お酒というテーマが一本ピシッと全体を貫いているため締まりがあるのが好ましい。
というようなことを『酒呑みの自己弁護』を読んだときに書いたように思う(旧読前読後2001/8/25条)。ただ、それ以外の重要な要素があることも忘れてはならない。山藤章二さんの挿絵である。むしろ、この挿絵がなければ第一に推すことはなかったかもしれない。
『酒呑みの自己弁護』と同じく(その翌年)『夕刊フジ』に連載された吉行淳之介さんの『贋食物誌』新潮文庫)を読み、そんなことを考えた。
『贋食物誌』に関心を持ったきっかけは、種村季弘さんの『食物漫遊記』(ちくま文庫)だったろうか。『贋食物誌』に出てくる「どぜう地獄」が紹介されているのだ。生きたままの泥鰌と豆腐を鍋に入れて一緒に煮ると、熱くて驚いた泥鰌が冷たい豆腐のなかに頭を突っこんでそのままお陀仏。これが美味だというのだ*1
その後『贋食物誌』の元版を某古書店で見かけめくってみたら、山藤章二さんの挿絵がある本の雰囲気が、当たり前だが『酒呑みの自己弁護』と似ており、俄然惹きつけられた。その元版を別の機会に手に入れたのはいいが、結局読んだのは最近手に入れた文庫版なのだった。やはり自分は根っからの文庫本好きということか。
さてこの『贋食物誌』はいわゆる食味随筆ではない。連載100回のタイトルはすべて食べ物の名前だが、必ずしもその食べ物が主人公というわけではない。

連載のはじまる直前に、一つの手口をおもいついた。いろいろの食物の名を列記しておいて眺めていると、なにか書くことをおもい付く。食物のこととはかけ離れていることが多いので、書物としてまとめるときに、『贋食物誌』というタイトルに変えた。(「101 あとがき」)
ある食物をとっかかりに、女の話や酒席の話、子供の頃の思い出、先輩後輩との交友記などなど、連想が広がる。まさにエッセイの王道という感じで、挿絵も入れて一回分3ページというのもエッセイ好きにはたまらない分量で、しかも密度が濃い。
『贋食物誌』を読み『酒呑みの自己弁護』を思い浮かべた。この二作は同じ『夕刊フジ』連載・山藤章二挿絵の兄弟分であるばかりでない。『贋食物誌』の挿絵(文章もだが)に山口瞳さんが何度も登場する。とりわけ山藤さんの遊び心が発揮されているのは「44 栗」の回。
吉行さんが「ア、大きなクリ!!」と喜び駆け寄っていく先にあるのは、庭先の腰かけにすわってお猪口で一杯やっている山口さんの後頭部。塀の上からいがぐり頭がちょこんと覗いているため栗と間違えられたのだ。山藤さん書くところのキャプションにはこうある。
今回は、当方の不注意により「酒呑みの自己弁護」の絵がまぎれ込んでしまったことをおわびします(編集部)
サインの年記も「'72」(『酒呑みの自己弁護』が書かれた年)に変えられているという念の入れよう。こうした山藤さんの遊び心は随所に見られ、本書を読む楽しみの半分がこれらイラストと言っても過言ではないが、山藤さんについてはまた明日書くことにしよう。吉行さんは山藤さんとの共同作業を楽しんでいたようだ。
イラストを見るのも毎日たのしみで、それが仕事をつづける励みにもなった。『本モノのほうがずっといいのに、あんな絵を描かれてよく我慢してますわね。あのイラストレーターの男、いつか必ず崖から突き落とすか、コインロッカーに閉じこめてやるわ』というような女性読者からの手紙を幾通ももらった。しかし、一〇〇回愉しませてくれたことについて、私は「イラストレーターの男」に感謝している。(「101 あとがき」)
たしかに山藤さん描くところの吉行淳之介像は女性の吉行ファンの神経を逆なでしそうだ。山口瞳像がかわいい感じなのと対照的に、吉行像は、いつもこめかみに青筋を立て、はなはだ人相が悪い。ただしこの悪意には敬意がたっぷりと込められていることも確か。それを承知で山藤さんに反抗を試みる吉行さんの文章も微笑ましい。
最後に、フェミニストから何と言われようと、私はこんな偏見すれすれの吉行さんのダンディズムが好きである。
オカメそばとかアンカケとかは、男の食い物としてはどうも具合がわるい。(「38 天麩羅2」)
しかし私見によれば、男の場合味がわからなくてはまともな文章は書けないし、女の場合にはセックスが粗悪である。(「80 鮫1」)

*1:『贋食物誌』では、この料理が俗説であることが結論づけられている。