ナポレオン・トロワはハイカラか

ハイカラ右京探偵全集

べつに時代小説が肌に合わないというわけではないし、ミステリは大好きだ。なのに、時代小説とミステリが合わさった「捕物帳」はそれほど読まない。読まないというより、読みたいのだけれどなかなか手がつけられない。
綺堂の「半七」は学生の頃から持っているのに「老後に…」とあえて読まず、横溝正史の「人形佐七」は食指が動かない。十蘭の「顎十郎」は途中で挫折している*1。同じ十蘭の「平賀源内」は未読。明治に入り、安吾の『明治開化安吾捕物帖』(ちくま文庫版『坂口安吾全集』12・13)に至っては、何度も読もうと書棚から取り出したものの、結局元に戻してしまう。明治物のミステリといえば、捕物帳的なものでなく、山田風太郎『明治断頭台』(ちくま文庫)が記憶に残る。
「捕物帳」という名前こそ付いていないけれど、日影丈吉『ハイカラ右京探偵全集』*2講談社文庫大衆文学館)もこれらと同じような心もちで読めないできた。
この「ハイカラ右京」シリーズは、明治中期(20年代と推測されている)を舞台に、外務省嘱託の元国際スパイ右京慎策を探偵役にした明治物連作ミステリで、いわば捕物帳と近代的な探偵小説の中間に位置するような作品と言っていいかもしれない。
西南戦争に従軍して負傷、隻眼になった薩摩人の警視庁吾来警部がライバル役。とはいえ最初のほうこそ吾来警部は右京を煙たがっていたものの、物語が進行するにつれ右京を頼りにするようになり、最後に右京は独身吾来警部に美人の妻を見つけてくるという月下氷人の役回りまで受け持つ始末。
西洋文明が怒濤のごとく流入してきた明治開化の世の中は、まだまだ民主的社会からはほど遠い。一部の元勲や有力政治家が自分に都合の悪い事件を簡単にもみ消すことができたし、外国人がらみの事件になると、不平等条約のせいか、すっきりとした解決が阻まれる。そうした社会に起こる事件の探偵役として、外務省嘱託・元国際スパイという人間を持ってきたアイディアは素晴らしい。
薄暗い明治の世の中に起こる陰惨な事件に颯爽と登場するは、およそ日本人離れした姿恰好の「ハイカラ右京」。でも喋りは江戸弁というギャップも楽しい。

ビロード襟の散歩服に灰色の高帽を冠った、ひどくシャレた男で、尖った鼻の下に、針金のように細くよじって、ピンと左右に張ったナポレオン三世トロワ風の髭――(「牡丹灯異変」)
どうにもヒーロー的容貌ではなく、むしろ嫌みったらしく感じるのだが、どうだろう。ナポレオン三世と言えば最近鹿島茂さんが『怪帝ナポレオン三世』(講談社)という本を出した。カバーに彼の肖像が載せられているので顔の部分だけ転載する。
ナポレオン・トロワ
こんな髭を「針金のように細くよじって、ピンと左右に張った」人物が近くにいるとギョッとしてしまうが、明治の世の中においてみると、ハイカラの最前線にいるようなものなのだろうか。
巻末の新保博久さんの解説によると、本書は現代教養文庫版『ハイカラ右京探偵暦』所収の13篇に、その後「ハイカラ右京探偵新話」として単行本にまとめることを予定され、中絶におわった単行本未収録2篇を加えたハイカラ右京物の決定版である。新しい未収録2篇は整いすぎるきらいがあり、戯作味が強烈なもともとの13篇が面白い。とりわけ正月のおめでたい気分と陰惨な事件の対比、意外な犯人の「新春双面神」をベストとする。

*1:いま朝日文庫版を見たら、296-97頁のところに栞が挟まっていた。

*2:ISBN:4062620634