関東大震災のボランティア

関東大震災

先日の中越地震をはじめ、台風・大雨による水害、火山噴火などによる自然災害が頻発している。いや、実数は過去とそう変わりはないのかもしれないが、少なくともマスコミによって災害情報が毎日のように届けられ、胸に刻まれる。マスコミによる義援金の呼びかけもなされ、ボランティア活動も取り上げられる。
発生当初の災害救助活動が一段落すると、災害で家を失った被災者の日常生活のケアといった社会問題に関心が移ってゆく。たんに私の印象だが、ボランティアや義援金といった災害支援が注目を集めだしたのは、阪神・淡路大震災がきっかけなのではあるまいか。むろんマスコミによる義援金募集というものに歴史があることを知らないわけではなく、ボランティア活動もこのとき突然出てきたものではない。ここではマスコミによる取り上げ方の問題を言っているのである。
阪神・淡路大震災中越地震における災害支援の様子を知るにつけ、それでは関東大震災のときはどうだったのか、そのときの教訓が今に生かされているのかといった疑問も大きくなっていった。
関東大震災のさいの他地域の人びとの援助で印象深いのは、井伏鱒二の体験談だ。井伏さんは学生時代下宿していた早稲田で被災した。郷里の福山に帰るべく、中央線沿いを立川まで歩き、ようやく避難民を運ぶ列車に乗ることがかなう。列車が甲府に着いたとき、井伏さんは目を疑った。

ホームには、紋服に愛国婦人会の大襷をかけた婦人の団体が整列し、女学生の一団がお揃いの海老茶の袴をはいて一列に並んでいた。町を挙げての盛儀かと思い違いさせられそうであった。(新潮文庫版『荻窪風土記』、44頁)
婦人会の人たちは車窓ごしに避難者たちへ空豆や弾豆の入った袋を差し入れる。井伏さんの対面に座っていた学生が帯の代わりに荒縄を締めていたことに気づいた女学生は、すばやく自分の赤い腰紐をほどき豆袋と一緒に手渡した。
「すみません。有難う」と大学生が言った。
見たところ、腰紐を貰った大学生よりも、腰紐を無くして着物をたくし上げている女学生の方が得意げであった。大学生は立って窓の方に向いたまま、荒縄の帯を解いて赤い腰紐を結んだ。三味線の師匠が私の耳元に顔を寄せて「小唄の情緒ですな」と言った。(同書45頁)
関東大震災直後には、首都圏周辺のあちこちで、こうした被災者と援助者との交流が見られたのだろうか。井伏さんのような冷静な目をもった観察者はほかにいるのだろうか。
とまれ、関東大震災の災害支援問題である。鈴木淳さんの新著関東大震災―消防・医療・ボランティアから検証する』*1ちくま新書)は、そんな私の関心をある程度満たしてくれる本であった。副題にあるように、本書は震災の悲惨さを語るおびただしい数の文献とは異なり、歴史家らしく震災時の消防・医療・ボランティア活動のあり方を検証し、問題点を明らかにし、現在に生かされるべき教訓を指摘する。
数字主体のデータにもとづき事実経過を緻密に叙述した内容だけに、読み進むのに多少骨が折れたが、個別のエピソードに興味深いものが多々あった。
たとえばこのときの地震は本震と、引きつづき発生した二つの余震が組み合わさったものだったこと。神奈川県西部を震央とするM7.9の本震の三分後、東京湾北部を震源とするM7.2の余震、その二分後に山梨県東部を震源とするM7.3の余震があったという。翌日にも房総半島沖を震源としたM7級の余震が二度あった。ひとつの地震だけでも非常に強いものであるのに、これだけの地震が立て続けにおきたのだからひとたまりもない。
災害支援ということで言えば、まずは侯爵前田利為。彼は当時陸軍少佐で、近衛歩兵第四連隊の大隊長だったが、軍務としてではなく、華族前田家の当主として東京大学に隣接する本郷の本邸を罹災者に開放し、炊飯給与を行なったという。近衛連隊としては、彼の私的行動に対し追認のかたちをとり、彼の部下を派遣して大隊長としての責任を果たした体裁を整えた。
本書掲載の都心部焼失区域の地図(41頁)を見ると、皇居西側で焼けたのは麹町一帯であることがわかる。ところがそのなかにある東郷(平八郎)邸(現三番町の東郷公園)だけ奇妙に焼け残っている。別の箇所にその理由が書かれていた。東郷元帥は家族を新宿御苑に避難させたあと、自宅の庭に椅子と机を出して踏みとどまり、消防活動に従事した人びとを勇気づけたのだという。これにより東郷邸は延焼をまぬがれた。鈴木さんは前田侯爵の例もあわせ、「これら著名人の行動が地域の防火活動の支えとなった」と述べる。
また、のちに満州七三一部隊長となって悪名を轟かせた石井四郎は、このとき二等軍医で、三宅坂にあった東京第一衛戍病院の消火に率先してあたり病院を守り、そのため後に表彰されたという。石井は鎮火活動による過労で、鎮火の目途が立った頃に人事不省に陥るほどの働きを見せた。
個人の活動だけでなく、団体の活動で言えば、ボランティア活動で大きな役割を果たしたのが青年団在郷軍人会であり、とりわけ在郷軍人会の活動について光が当てられている。在郷軍人という言葉はよく聞くが、私はこれまで実態をよく知らなかった。退役していない予備役・後備役の軍人をこう呼び、実態としては「有事に招集される人の会」として陸軍に系統的に組織されていたとのこと。
彼らは支援活動にさいし現役の軍と同様軍服を着用してこれにあたった。そのため一般市民は軍隊に信頼を寄せるという意識の変化があらわれ、これが軍国主義国家の思想的底流につながるという指摘は興味深い。本書で明らかにされているように、このとき軍がとった必ずしも十分でなく、反省すべき点も多い。しかしながら軍は、市民からの信頼を得たことで自らの失敗や能力の限界を反省することなく自信を深めてしまったことが問題だというのだ。
震災における軍隊の救助活動の功罪がこの時代の大きな流れのなかに位置づけられている点、さすが歴史家の目は鋭い。