筒井ミステリのレベルの高さ

富豪刑事

驚いてしまった。
先日古本で筒井康隆さんの富豪刑事*1新潮文庫)を買った(→12/10条)。その直後から「富豪刑事」というキーワードでのアクセス数が増えたので怪訝に思っていたところ、「富豪刑事」そのものが「はてな」でキーワード化されていることに気づいた。たどっていくと、何と来年1月からテレビ朝日系でドラマ化されるらしいのだ。主演は深田恭子。このからみで、原作に興味を持った人がいるらしい。
私はと言えば、このことをまったく知らなかったのである。だから偶然の一致もはなはだしい。私の場合は、買ったときにも書いたとおり、好きな作家である佐野洋さんが本書を高く評価していたのが頭の隅に残っており、たまたま古本屋で見かけ安かったので買っておいたまでなのだ。
筒井さんのミステリの傑作ロートレック荘事件』新潮文庫、→6/15条)の解説が佐野さんで、たしかそこで、同作品のほか筒井さんのミステリとしてあげられ(しかも褒められ)ていたのが、『富豪刑事』だったと記憶する。
富豪刑事』文庫版の解説もまた佐野さん。解説と言っても、佐野さんの著書『新推理日記』から、この作品に言及した部分を抜粋再録したものではあるが、ざっと目を通すと(ミステリなので解説はあとから読むことにした)やはり高い評価が与えられているらしい。ドラマ化されるということもあるし、興味もそそられたので、早いうちに読んでおこうとなかばあせりつつ読み始めた。
富豪刑事』は4篇の短篇から成る。主人公は神戸大助という刑事だが、この刑事が大金持ち。登場人物の口を借りると、大金持ちの程度はこのくらい。

キャデラックを乗りまわし、葉巻を半分も喫わずに捨て、十万円以上のライターをいつも置き忘れ、イギリスで誂えた仕立ておろしの背広を着たまま雨の中を平気で歩くような刑事(「富豪刑事の囮」)
吸っている葉巻はわざわざハバナから取寄せた一本8500円のもの。大金持ち(の息子)でありながら、安月給の刑事をやっているという設定がうまい。性格は真面目で嫌味がない。大金持ちということで嫉視されることはあるが、人格的に問題があるわけではない。
さらに父親のキャラクター造型が絶妙である。悪事を重ねて成り上がり大金持ちになったのはいいが、70歳を超えて老いた今、過去の悪事を悔いている。これ以上お金はいらない。儲けたお金をとにかく社会の役に立てたい。だから一人息子が仕事のためにお金を使わせてくれという申し出をしようものなら、涙を流しながら喜ぶのである。
湯水のごとくお金を使えるから、捜査にいきづまると、お金を使って常識では考えられない方法がとられる。五億円強奪犯が時効までお金を使わないと見るや、そのお金を使わせるように仕組む。密室トリックを仕掛けた犯人にもう一度同じ犯罪を行なわせようと会社を設立する。暴力団が町に集結する情報を得るや、町中の宿をすべて抑えて、一つのホテルにしか泊まれないようにさせてしまう、等々。
常識外れの散財のおかげで見事解決。だからといってお金万能、お金がデウス・エクス・マキーナになるのではない。お金の使い方がそれぞれのトリックと巧妙に結びつくあたりもきちんと考えられている。
ところで佐野さんはシリーズ探偵物否定派である。「シリーズ探偵を使うと、どうしても小説の形式がきまってしまう」から。幸い『富豪刑事』はそうなることをまぬがれ、さまざまなパターンのミステリの形をとった連作短篇となっている。小説としての書き方にも工夫が凝らされており、佐野さんが「先にやられた」と悔しがるほど。佐野さんが脱帽するのだから、一般読者の私にとっても文句はない。こうした凝った小説には私は本当に弱い。井上ひさし小林信彦筒井康隆…。
なお、原作の主人公は当然男である。よく筒井さんは深田恭子主演でのドラマ化を承諾したものだ。宣伝文句を読むかぎりでは、ありきたりの刑事ドラマ(警察小説)に、有り余るほどのお金という要素をからませればどうなるかという、筒井さんのひねった着想とはどうも別の路線になるのかもしれない。
もし原作のイメージどおりに男を主人公とするなら、誰が適役か。ゴージャスということであれば及川光博あたりが思い浮かぶが、真面目で善良で純情ということであれば、妻夫木聡坂口憲二あたりがいいかな。