第62 待望の商店街歩き

のんき通り

東京に移り住む前はずっと東北に住んでいたうえ、旅行好きというわけでもないから、関西地方に旅する機会といえば修学旅行のような団体旅行ばかりで、わずか二度あっただけ。ところが東京に来てからは、仕事の関係上京都・奈良といった関西の古都に年数度出張する機会ができた。その都度東海道新幹線を利用するようになり、新幹線の乗車機会が増えるにしたがい、沿線風景も少しずつ記憶として積み重なるようになってきた。
座る席はたいてい北側の席、つまり京都方向では右、東京方向では左の、富士山が見える側にしている*1。その沿線の風景で自分の関心をひくポイントが二つあった。
ひとつはもうすぐ京都というあたりで右側に見える滋賀県豊郷町。町長による取り壊し計画が住民の反対運動をひきおこし問題となった、ヴォーリズ設計の豊郷小学校。新幹線のすぐそばにあって、一目見ただけでわかるモダンな校舎は目立った。ところが新校舎が新幹線高架と旧校舎のちょうど中間、まるで新幹線の車窓から旧校舎を隠すように建てられてしまったため、旧校舎を満足に見ることができなくなったのは残念このうえない。
いまひとつは、品川駅と多摩川の間、品川区か大田区にあるとおぼしい細い道路で、路上には「のんき通り」という商店街の看板が掲げられている。東京のどこにでもありそうな、何の変哲もない商店街の道だけれど、「のんき通り」という間の抜けた(失礼)ネーミングと、それほど幅の広くない道路、それにまっすぐ一本道というわけではなく曲がって伸びている雰囲気、いかにも寂れた感じ、すべての要素を合わせて、新幹線から「のんき通り」の路標が見えるたび気になっていたのだった。
いつかここを歩こう、そう心に期していた。ある日ふとこの「のんき通り」が頭に浮かんだので、地図で探してみることにした。「のんき通り」の前後いずれかに、かつて訪れたことのある伊藤博文墓所の森を通り過ぎたことを記憶していたので、そこを手がかりに地図を探すと、この道は横須賀線西大井駅の近くから北西方向に伸び、住所で言えば品川区二葉から豊町にかけての道路であることがわかった。
それ以来、「のんき通り」を歩きたくてウズウズしていたのだが、なかなか天候や日程、体調がかみ合わない。この週末、数多あった行きたい場所(たとえば府中市美術館・江戸東京たてもの園)を断念して、この「のんき通り」歩きを決行した。
横須賀線西大井駅は品川駅の次。たぶん周辺に住んでいる人以外利用客はあまりいないのではあるまいか。東京方面から乗り込むと、休日を利用して横浜・鎌倉方面に遊びに行くとおぼしい人びとがほとんどで、降りた人はわずかしかいなかった。
さて、待望の「のんき通り」だが、予想どおり、何の変哲もない、寂れた商店街だった。いや、それでいいのである。そういう道を歩きたかったのだから。ただ、この日はなぜか「おかみさんの日」という商店街のイベントが予定されていたらしく、惣菜屋が店先にワゴンを出しお弁当を並べていた。午後から歩行者天国もあるという。カレーライス300円という値札に惹かれるものがあったが、後ろ髪引かれつつ散策を続ける。
週末の昼下がり、歩行者天国にせずとも車はあまり通らないのである。子供たちは徒歩や自転車で我が物顔に道路の中央を集団で歩いている。どこかに公園でもあるのだろうか、小学生男女数人の集団が私の前を歩いていた。途中の路地で、なぜか道ばたに落ちていた木の表札を拾い上げ、乱暴に道に投げ捨てたりして遊んでいる。おいおい、いいのかよと思いつつ、子供たちを追い抜いた。
あらかじめ地図で確認したところによれば、「のんき通り」の突き当たりは「戸越公園通り」で、ここも南北に長い商店街である。途中東急大井町線戸越公園駅がある。さらにこの公園通りを北に向かい、宮前坂という戸越八幡神社脇の坂を下る(戸越の一部分は台地上にあるわけだ)と、今度は東西に長い、あの有名な戸越銀座の通りとT字路状に直交するのである。
戸越公園通りから戸越銀座に入って商店街歩きの散歩を終えた。いずれの通りも、人出があって賑わい、車が遠慮して走っている状態である。戸越銀座は「銀座」という名前を付けた日本で初めての商店街として有名だ。子供の頃この商店街の名前を聞いたことがあるが、当時この名前は心なしか侮蔑的に見られていたのではなかったか。全国あちこちに○○銀座という名前の商店街ができ、もはやそのネーミングの古さを感じさせる現在、逆に戸越銀座は商店街としてのオリジナリティを発揮しているように思われる*2
地方都市に住んでいると自家用車が必需品になる。郊外型の大規模商業施設ですべて間に合ってしまうから、市街地中心部にある昔ながらの商店街は衰退の一途をたどり、空洞化がはなはだしい。それに対して東京では、鉄道の駅を中心に至る所に昔ながらの商店街が息づき、歩いていて実に愉快な気分にさせてくれる。こうした活気こそが東京という町を支えているのではあるまいか。
今回のんき通り・戸越公園通り・戸越銀座という三つの商店街を歩いて気づいたのは、昔風の建物の大半がモルタル壁の直線的なデザインで、しかもいずれも二階部分に立派な戸袋を備えるという店構えであること。東京に特徴的な銅板貼り建築は皆無だった。商店街としての新しさ、もしくは震災・戦災との関係、あるいは大げさかもしれないが東京北部との「風土的差異」を考えさせるものである。このあたり、何か学問的に説明が可能なのか、今後注意してみたい。

*1:でも悲しいかな、たいてい富士山が見えるあたりになると眠り込んでしまっている。

*2:残念なのは古本屋が少ないこと。