読書スピードと読む本の関係

明治商売往来 続

本を読む早さはみんなどれくらいなのだろう。個人差はあろうが、私の場合、東京に来るまでは60頁/h(つまり1分1頁)と自分で把握していた。院生の頃、『谷崎潤一郎全集』を最初から読んでいくなかで自然に体得したペースではなかったろうか。
ところが東京に来て、毎日電車で本を読む習慣がついたいまでは、おそらくかつての1.5から2倍の早さになっているのではあるまいか。通勤電車の乗車時間はわずか20分弱に過ぎないが、だいたい片道で30頁は読めるとふんでいるからだ。だから時速になおせば最高速度約120頁/h。むろんこれは瞬間最高速度であって、常にこのペースを保てるわけではなく、読む本によっても異なる。これは速読の部類なのか、まだ遅読なのか。
いずれにせよ片道30頁だし、電車を降りれば読書モードになった頭の切り替えを強いられるので、なるべく長篇小説などは読まないようにしている。できれば一篇一篇が短く、軽めのエッセイ。総ページが300頁前後。そうすると一週間でほぼ読み切ることができる。
ところがどういう風の吹き回しか、この間電車本として選んでしまったのは、仲田定之助『明治商売往来 続』*1ちくま学芸文庫)だった。正篇のほうはすでに昨年中に面白く読んだ(→2003/12/27条)。その記憶がまだ新しいときに読んで食傷してしまうことを恐れ、間をおこうと思っていたら、もう一年が経とうとしている。早いものである。
この続篇のほうは、ごく大雑把に言えば職種別に書かれていた正篇とくらべて、一つ一つ具体的な店について書かれているという印象を受けた。第一部「みせがまえ」を例にとれば三越丸善春陽堂、守随度量衡店、天賞堂など。いつもお世話になっている太田胃散が建築家吉田五十八の生家だとは知らなかったなあ。

明治十二年官許胃散之祖太田製、定缶十銭とあるのを見て、子供のころ食べ過ぎては胃を悪くし、胃散を錻力の小匙でそのまま口に入れて、むせびにむせんだことを思い出す。(345-46頁)
話はそれるが、かねがね「ブリキ」とは何なのだろうと思っていたので、この機会に調べてみた。『日本国語大辞典 第二版』によれば、これは錫メッキした鉄板のことだという。オランダ語の“blik”が原語で、当初はブリッキと呼ばれた。面白いことに、わが郷里山形ではこれが「ブルギ」となまっているらしい。そんなふうに言っていた憶えはないけれど、口に出してみるといかにも山形弁らしい訛り方だ。これに「錻力」と漢字を当てた人は偉い。
閑話休題。たとえばこんな話を読むと、いかにも著者仲田さんは江戸の血を濃く受けた明治の人という感じで、そうした人が詳細な明治風俗本をのこしてくれたことに感謝せずにはいられなくなる。
それはスペンサーという米人が来朝して、上野竹の台の帝室博物館前広場で、いわゆる風船宙乗りの妙技を披露し、大評判になったことがあるからだ。そしてわたしはそのスペンサーの風船乗りをした実況を、この眼で目睹した経験があるのだ。(284頁)
スペンサーの風船宙乗りなんて、遠い黙阿弥の世界という感じなのだが、読むだけでその時間がぐっと近づいたような気がする。また、初代広重が描いた江戸城外濠の風景に関する次の文章。
このあたり今はすでに埋立てられたり、石垣も取崩されて、そこには高層建築がにょきにょきと建ち並び、旧観は跡形もなく消えてしまったが、わたしの少年時代にはこの版画そのままの風景が残っていたばかりか、あの銭瓶橋と呉服橋との間の石垣の下の四つ手網も、わたしの日常見馴れた景物の一つだった。(394頁)
これなどは逆に、仲田さんの生まれた明治は江戸と陸続きでつながっており、自分の生きている時代との断絶を強く思わずにはおれない。
ところで冒頭の読書スピードの話に戻れば、この本は500頁を超える大著であるため、電車本として読み切るのに二週間近くかかった。週末を二度はさんだような気がする。そうなってしまうと読みつづけるための士気の低下が避けられないのだが、なぜかこの本はそうならなかった。一篇一篇(一項目)がそう長くないということもあるが、書かれた内容が自らの経験や取材に基づいたしっかりしたものであるうえに興味深い事実が満載で、「読ませる」本であることが大きな理由なのだろう。