海野弘のスタイル

東京風景史の人々

海野弘さんは、『東京風景史の人々』*1中央公論社)のなかで「日本にも〈一九二〇年代〉はあった」と繰り返し説いている。もちろん言うまでもなく時間的概念の一九二〇年代であれば日本だけでなく世界中にあるから、ここで主張されているのは、〈 〉でわざわざ囲まれていることからわかるように、歴史的概念としての〈一九二〇年代〉のことである。
1920年代は都市の時代である。モダニズムが勃興するなかで、「美術と他のジャンルが自由に交流していた」ことに特徴があるという(「あとがき」)。海野さんは、この文化的潮流を欧米の都市に限定的なものとみなすのではなく、日本にも同じような動向があって、これらを同時代的現象として把握することをテーマにすえる。このなかから『モダン都市東京』*2(中公文庫)が生まれ、その姉妹編としての本書『東京風景史の人々』も書かれた。
本書については「〈書評〉のメルマガ」連載「読まずにホメる」第11回で取り上げた。読む前の時点での期待は、そこでも書いたように、書名にもなっている第一章の「東京風景史の人々」だった。『東京人』創刊号から第8号まで連載されたこの文章では、小林清親鏑木清方木村荘八竹久夢二谷中安規長谷川利行織田一磨松本竣介といった8人の画家が取り上げられ、江戸から昭和までの時間の流れの中で移り変わる東京の都市風景が、それを意識的に描いた画家たちの視線を媒介に切りとられる。
このなかでは鏑木清方が何となく異色のように思えてしまうけれど、それはまったくの予断であって、次の文章を読んだら清方もまた近代人であることを思い知らされ、目から鱗が落ちた。

「築地川」や「にごりえ」などに描かれる古い東京は、江戸そのままではない。忘れられているような路地を描くことこそ、新たな都市風景の発見なのである。それはすでに、近代の眼を経過しているのだ。(29頁)
海野さんはさらにその例証として、清方の作品「一葉女史の墓」の構図がW・H・ハントという画家の「イザベラとめぼうきの鉢」と酷似していることを指摘し、ヨーロッパの世紀末美術と清方の同時代性を指摘している。
ところで本書を読んで、本書の面白さは第一章だけにあるのではないことを知った。1920年代のアール・デコの時代の前提となる1910年代のアール・ヌーヴォーの時代を論じた第二章、そして核心の1920年代を論じた第三章もすこぶる興味深い指摘に富んでいる。
第二章では、1910年代、清方や今村紫紅竹久夢二東郷青児らによって、日本橋に日本のモンパルナス(もしくはモンマルトル)とでも言える芸術家村があったのではないかと論じる。
第三章では、とりわけて冒頭の一篇「洋画の一九二〇、三〇年代」が知的興奮を誘う。ここでは日本における〈一九二〇年代〉という美術史的区分を探るため、欧米に渡り絵を描いた日本人画家たちの存在を取り上げる。海野さんの視点でユニークなのは、芸術の都パリで活動した画家(佐伯祐三ら)よりも、アメリカに渡り活動した画家たち(清水登之・国吉康雄・田中保・石垣栄太郎・野田英夫ら)に注目する点だろう。「特にスカイスクレーパーの林立するアメリカの現代都市は、日本人画家にとって新しい都市風景の発見だったのではないだろうか」という問題意識が根底にあるのだ。そのなかでフランス派と比べた次の問題が浮上する。
アメリカで画家となった人々は、国吉、清水、石垣、野田など、ほとんどが、社会的コンテキストを持った絵を描いている。一方、フランスで画家になった人々は、前田寛治のような例外はあるにしても、ほとんど社会的コンテキストを持っていない。(194頁)
海野さんは、「フランス派はいかに描くかが重要な問題であり、アメリカ派はなにを描くかが切実だった」とこの違いの由来を想定するが、この問題は美術史の大きな流れへと接続する。つまり印象派に端を発した流れと、象徴主義的な流れである。かくして日本における近代美術は世界的視野のなかで捉え直されるのである。
それにしても海野さんの文章は禁欲的で、方法も学究肌である。東京論者として、大正期の文学者を論じた『大正幻影』*3ちくま文庫)の著書がある川本三郎さんとつい並べてしまいたくなる。でも今回本書を読んで、川本さんとの決定的な違いがわかった。川本さんの本は失われたものを追憶するノスタルジーが特徴であるのに対し、海野さんの文章にはノスタルジックな感傷とは無縁であるのだ。いずれの味わいも捨てがたい。
学究的だと私が感じたのは、内容だけでなく、本書が三陽社の活字で印刷されていることも一因となっている。本書の字を目で追っているうち、学術書を読んでいるかのような錯覚をおぼえ、読み飛ばしをすまいという意識にさせられたのだ。東京大学出版会から出ている学術書(私の専門分野で言えば、たとえば網野善彦さんの『中世東寺と東寺領荘園』*4)は三陽社の活字で組まれていることが多いのである。何となく丸っこい三陽社の活字を目にすると、無意識に頭が「論文モード」になって困ってしまう。