杉山茂丸・其日庵と杉山泰道・夢野久作

浄瑠璃素人講釈(上)

今日の朝日新聞朝刊に目を通していたら、文化欄に杉山其日庵(そのひあん)の浄瑠璃素人講釈』岩波文庫に入る*1ことについて、大きく取り上げられていた。この本について私は何も知らないのだけれど、文楽に詳しい書友ふじたさん(id:foujita)が前々から岩波文庫に入ることを楽しみにされているということで、きっと名著なのだろうと、私もその余慶にあずかって楽しみにしていたのである。
もっとも私の場合文楽と言えば、最近は知人から行けなくなったチケットを譲っていただくといった恩恵を受ける機会にしか観に行っていない。身銭を切っていないから、向き合い方も歌舞伎とくらべ熱心さに欠けている。つまりは何もわからないので、同書を買っても当分は積ん読か、あるいはいずれ文楽を観に行く機会があったら、観る演目の部分を拾い読みするか、そんなところだろうと漠然と考えていた。
ところが今朝朝日新聞の記事に接し、すこし考え方をあらためなければならないと思った。というのも、著者杉山其日庵とは、杉山茂丸のことだと書いてあったからだ。さらに記事では、本書について「けいこ風景など生々しいエピソードも多数紹介。会話文と地の文が混在するなど、おもしろおかしい読み物といった体だ」などと書かれていて、人形浄瑠璃のことをあまり知らなくとも楽しめる読み物であるらしい。其日庵などという風変わりな雅号ゆえ、いったい誰かと思っていたら、杉山茂丸だったとは驚いた。
もっとも『浄瑠璃素人講釈』の著者が杉山茂丸であることは、つとにふじたさんが言及されており、私もその文章に目を通したはずなのだ。

帰宅後さっそく(星新一『小金井良精の記』を―引用者注)ペラペラとめくって、杉山茂丸の名前が飛び込んできて、またもや「おっ」だった。『浄瑠璃素人講釈』の著者、夢野久作の父、日活向島撮影所となった土地に別荘を持っていた、などなど、杉山茂丸とはいったい何者なのかと何年も前から気になっていたのが、先日月の輪書林の目録を見て、ますます気になるところとなっていたのだった。(「日用帳」04/6/11条)(id:foujita:20040611)
言い訳をすれば、6月当時『浄瑠璃素人講釈』が文庫に入るという情報があったわけではなかったし、私はこれを拝読して、むしろ夢野久作のほうに目が奪われ、ふじたさんに鶴見俊輔さんの夢野久作 迷宮の住人』*2双葉文庫)の刊行をお知らせしたのだった。もう少し丁寧に拝読していれば、『浄瑠璃素人講釈』文庫化の情報を得た時点で喜べたはずで、もう間の抜けた話としか言いようがない。
杉山茂丸という名前で驚いたとは言っても、彼について私が知っているのは、右翼の大物にして探偵小説家夢野久作の父親、没後骨が東京大学医学部標本室に骨格標本として収蔵されているいうことに過ぎず、これに『浄瑠璃素人講釈』の著者というデータがひとつ加わった。
そういえば息子の夢野久作も古典芸能に詳しかったはずと、書棚からちくま文庫夢野久作全集11』*3を引っぱり出したところ、能楽関係のエッセイが収録されていたものの、人形浄瑠璃については見あたらない。とはいえ杉山茂丸の素養はかたちを変えてきちんと息子にも伝えられていることは間違いない。
ついでに上記『夢野久作 迷宮の住人』も積ん読の山から掘り出し、山の頂上に移しかえた。めくってみたところ、ここにも関連した記述がありそうである。
浄瑠璃素人講釈』の面白さについては、いずれ読めるであろうふじたさんの記事を楽しみに待つことにして、私はこの本にインスパイアされ、久しぶりに夢野久作の世界に入ってみようかという気持ちになったことに、「本読みの快楽」を味わっているのだった。