パリは書物でたくさんだ

巴里好日

先日10日に日本テレビ系で放送されたドラマ「あの日に帰りたい。―東京キャンティ物語」が面白かった。
麻布にあるイタリア料理店「キャンティ」を舞台とし、この店に中学生の頃から通ってデビューのきっかけをつかんだというユーミン語り部に、文化の発信源だったキャンティの存在を浮かび上がらせるドキュメンタリー・タッチのドラマだった。FMラジオJ-WAVEのパーソナリティ役を演じた主演の内山理名が昔の山口智子みたいな雰囲気で綺麗になっていてドキドキした。
ユーミンファンとしてたまらなかったのは、いろいろなアーティストが唄うユーミンの曲がドラマの合間合間に挿まれていたことで、「ひこうき雲」を松浦亜弥が唄ったのに驚くいっぽう、最後の「やさしさに包まれたなら」をユーミンSing Like Talking佐藤竹善がデュエットしたのには感動して目頭が熱くなった。なぜなら私はユーミンファンであると同時にSing Like Talking=竹善ファンでもあるからで、この二人のデュエットでユーミンの曲が聴けるなんて、想像だにしなかったのである。
内山が取材でパリに飛び、ピエール・カルダンにインタビューした場面、ふりそそぐ陽ざしがまぶしいパリの町並みと、カフェでくつろぐパリの人びとの映像を目にしたら、たまらなくパリという町に行ってみたくなった。でも、ああしたカフェに悠然と座り行き交う人を眺める自分の姿がどうしても想像できない。自分には似合わないようだ。だからパリは書物のなかだけで満足しようと思う。
先日読み終えた矢野誠一文人たちの寄席』(文春文庫、→10/14条)を書棚の“矢野コーナー”に収めようと、スペース確保のためちょっとした本の整理をした。そのときも書いたように、“矢野コーナー”のある段は、“鹿島茂コーナー”でもあり“川本三郎コーナー”でもある*1。矢野さんの本を収めるかわりに、その段からはじき出される本を選定しているうち、鹿島さんの本でも次に読もうかという気になった。
けれども鹿島さんの本は比較的最近読んだばかりだ(『文学的パリガイド』→8/6条)。だから、鹿島コーナーの上に横積みで置いてある“河盛好蔵ミニコーナー”から一冊選び、そちらを読むことにした。『巴里好日』河出文庫)である。河盛さんは鹿島さんの勤務校共立女子大学の先任者であり、フランス文学・文化紹介の泰斗である。鹿島コーナーに接して河盛さんの本を置いたのは、われながらいかしたセンスだと思う*2
河盛さんが初めてパリに留学したのは、1928年から30年にかけてのことだという。昭和初年の頃だ。当時パリは「ベル・エポック」と呼ぶにふさわしい社会的安定期だったそうで、第一部の長篇エッセイ「ベル・エポック」によれば、行きは船で四十日以上かけ、帰りはシベリア鉄道を使ったという。まだ「洋行」という言葉が現役で通用する時代だった。
さて一読すると、さすがに鹿島さんの先駆者と言うべき、パリの歴史、社会風俗、性風俗、食物、酒に関する蘊蓄が披露されていて、いま読んでもけっして内容は古びておらず、「なつかしき時代」のパリという都市の空気が伝わってくる。最初の留学で語学を教わった高等師範学校(エコール・ノルマール・シューペリュール)の学生ボーフレ氏との再会の記など、長くフランス文学に携わった人ならではの感動的逸話も紹介されている。
明るい陽ざしのなかカフェでくつろぐパリの人びとに憧れてしまうと先に書いたけれども、実際のところパリは日本より高緯度に位置しているから、冬になれば日が短くなるわけである。最初の留学では、滞在が日を重ねるにつれて気が滅入ることが多くなったとし、これは「パリの冬の暗さと決して無関係ではなかった」とする。

十二月に入ると日が日ましに短くなり、朝は八時を過ぎなければ明るくならず、夜は四時にはもう真っ暗であった。それに寒さも加わってくる。腸の弱い私は少し冷えるとすぐ下痢をした。(42頁)
ことほどさようにパリ滞在といっても明るく眩しい印象のみで彩られるのではない。暗鬱なパリで暮らすことも、その違った一面を知る意味で有意義なことではあろうし、そこまでしないとパリという都市の本当の貌を知ることにはならないだろう。だから私は河盛好蔵山田稔鹿島茂堀江敏幸といった系譜のフランス文学者たちの書いたパリに旅するだけで十分なのである。

*1:これにもうひとつ“武田雅哉コーナー”も追加。ただし川本さんの場合、文庫本は別の場所に一括して配置している。

*2:といっても、置いてある著書(訳書除く)は、前掲書のほか、『河岸の古本屋』(講談社文芸文庫)と『藤村のパリ』(新潮文庫)の3冊だけだが。