「雁」から広がる拾い読み

鴎外の坂

映画を観終えてから、鴎外「雁」(ちくま文庫版『森鴎外全集4』所収、ISBN:4480029249)の残り半分を読み終えた。原作を読むと、映画がいかに原作のアウトラインを崩さずに登場人物一人一人をうまく活かしているかがわかる。お玉と岡田(高峰秀子芥川比呂志)、そして高利貸し末造夫婦(東野英治郎浦辺粂子)の心の動きが鮮やかに描かれた名作であったことをあらためて思う。
ところで「雁」は明治10年代の高利貸が妾を囲う物語である。これで思い出したのが、黒岩涙香の異色の書『弊風一斑 蓄妾の実例』*1(現代教養文庫)だ。この本は、明治の華族や政界・財界人といった上流階級はおろか、市井の商人に至るまで、どこそこに住む誰それがどこそこに妾某女(○歳)を囲っているという事実をただひたすら淡々と列挙し筆誅を加えた驚くべき内容で、いわば明治の“お妾データベース”となっている。
ここに指摘された人びとの職業・住所と、妾宅の住所などを地図に落としたら何か面白いことがわかるのではないかしらんなどと空想しながら、いまだ果たせていない。それはともかく、「雁」を読んで本書を引っぱりだし、思いつくまま拾い読みを始めた。すると、最初にほうに、当の鴎外の記事を見つけた。

▲(十九)森鴎外 こと、当時本郷駒込千駄木町廿一番地に住する陸軍々医監森林太郎は児玉せき(三十二)なる女を十八、九の頃より妾として非常に寵愛し、かつて児まで挙けたる細君を離別してせきを本妻に直さんとせしも母の故障によりて果す能わず。母も亦鴎外が深くせきを愛するの情を酌み取り、末永く外妾とすべき旨をいい渡し、家内の風波を避けんためせきをばその母なみ(六十)と倶に直ぐ近所なる千駄木林町十一番地に別居せしめ、爾来は母の手許より手当を送りつつありとぞ。(14頁)
「雁」にはこんな鴎外の経験が取り入れられているのかもと思いながら、拾い読みをつづけると、たとえば「雁」の末造のような高利貸しの事例もいくつか見つかった。
▲(二七七)鏑木義胤 麻布区笄町十七番地の金貸鏑木は三度の食事に芋を食いつつ三十万円余の財産を作り百五十円足らずの所得税を納むるものなるが、同人は麻布区桜田町五十四番地に安藤なみ(三十六)なる妾を置き、芝区琴平町二番地の花屋高橋源次郎の妹せん(二十八)をも妾とす。
ここに登場せしめられた人びとの係累がいまなお存するだろうことを思えば居たたまれなく、「面白い」の一言で片付けるのは申し訳ないのだけれど、「雁」が書かれた明治の社会習俗の一端を本書は示して尽きせぬ興味を抱かされるのである。
森まゆみさんは何か書いていなかったかと思い出し、さらに『鴎外の坂』*2新潮文庫)へと拾い読みの手を伸ばして驚いた。第七章「無縁坂の女 玉とせき」では「雁」を中心に鴎外の時代の無縁坂界隈を取り上げているのだが、このなかで森さんは先に引用した涙香の記事に触れ、ここに登場する児玉せきが「雁」のお玉のモデルではないかと論じているのである。私の頭をかすめた「「雁」にはこんな鴎外の経験が取り入れられているのかも」という妄想も、あながち的はずれではないのだった。
もっとも本当であれば「雁」を読んですぐ森さんのこの本を思い出さなければならないはずのところ、「蓄妾」経由の回り道でようやくたどりついたと言うべきだろう。
「雁」でお玉を囲う末造の本宅は池之端福地桜痴邸隣とある。森さんによれば福地邸はいまの横山大観記念館の地にあったという。とすれば無縁坂などすぐ目と鼻の先ではないか。森さんは「なんと不用心なことだろう」(327頁)とするが、まったく同感だ。本邸の近所に妾宅を置くというのは、鴎外が実際そうだったからで、同書には、児玉せきの住む家が千駄木観潮楼からそう離れていない場所にあることを地図で示している。
ちなみに同書には昭和30年代、つまり映画「雁」からさほど経っていない時期の無縁坂の写真が掲載されている。まるで映画のセットそのままなのに驚く。現代よりむしろ明治に近いではないか。また同書によれば、お玉の家のモデルになった家が無縁坂の中ほどにまさに同じような佇まいで実在していたことを明らかにし、その家の人の談話が紹介されている。
なんでも休みの日になると文学散歩の団体が家の前に来て、「これが可哀そうなお玉さんの家です」とやられ、「お玉さんの子孫はいるのかな」と家を覗き込む人もいたという。その家は建て替えられ、施主の意向で「できるだけ平凡な目立たない家」になったという。
ついでに明治16年参謀本部地図で無縁坂−不忍池界隈を見ると、坂を下りきったところに小川が流れており、そこに架かった小橋を渡ると不忍池という、当たり前だが映画の風景そのままだったことがわかり、地図を見ながら、昨日観た映画の景色を思い浮かべたりした。