郷愁をさそう佐藤哲三

佐藤哲三展チラシ

新潟県長岡市に生まれ、没するまで郷里新潟を基盤に制作活動を続けた画家佐藤哲三(1910-1954)の名前は、洲之内徹さんの著作を読まなければ知ることはなかっただろう。洲之内さんに感謝するほかない。
とはいえ、実は、たとえば『気まぐれ美術館』*1新潮文庫)冒頭の一文「横雲橋の上の雲」に掲載されている晩年の名品「帰路」を見てもピンとこなかったのだ。だから今回の回顧展も積極的に観に行くつもりではなかった。たまたまフィルムセンターに映画を観に行く予定があったから、ついでのように観に行ったまでで、期待はしていなかったのである。
ところがステーションギャラリーに入って、ずらりと並ぶ作品を観た瞬間、一気に魅せられてしまった。チラシにも掲げられた代表作「赤帽平山氏」は洲之内コレクションの一品であり*2、以前同コレクションが収蔵されている宮城県美術館で一度お目にかかったことがある。先日同美術館で「洲之内コレクション展」を観たときこの作品は含まれていなかった。こちらに「出張」していたわけである。
「赤帽平山氏」は洲之内コレクションのなかでも比較的大作で、展示室のなかでも映える作品だったのだが、今回佐藤の他の作品、とりわけ同じ時期に描かれた人物画の大作「郵便脚夫宮下君」「赤い服の少女」と一緒に並べられた様子を眺めると、また違った印象を受ける。
洲之内さんは佐藤の作品について、こう書いている。

佐藤哲三の作品と向きあうと、私は、いつも、他の絵には感じない、ある特別なものを感じる。なんとなく客観的になれないのだ。しかも、その感じが作品のほうにあるのか、見る私のほうにあるのか、それが私にはよく判らない。(「続山荘記」、161頁)
「なんとなく客観的になれない」というのは、別に次のように言い換えられている。
佐藤の絵の前に立つと、例えば大勢の他人の中で肉親を見かけるような感じが、私にはあるのである。それとも、自分が抱いたことのある女を人中で見る感じと言ってもいい。(162頁)
こんな洲之内さんと佐藤哲三のあいだに流れるプライベートな空気を媒介するのが、二人が愛した新潟の蒲原平野なのだ。
佐藤は、現在でいうパノラマ写真のように独特の横に細長いカンヴァスに、新潟の平野の風景を描いた。どんよりと曇って重苦しい空と、緑だったり、稲刈りが終わったり、雪が降り積もったり、あるいは雪解けの広大な大地が横長の構図に切りとられる。その寒々しい空はいかにも日本海側の冬らしい色合いに塗られ、そんな日本海側の冬で育った私は強い郷愁にかられたのである。とりわけ、新潟から仙台の病院におもむく途中山形盆地の風景を描いたという大作「原野」の前で、しばし足をとめて佇んだ。
太平洋側の仙台に移り住むようになって、毎日乾いた空気の晴天がつづく仙台と、毎日重苦しい灰色の空と白い雪に閉じこめられた郷里山形の違いに愕然とした。二つの都市を結ぶ奥羽山脈越えの笹谷トンネルを抜けると全然天気が違うのである。太平洋側で育つことと日本海側で育つことは人間形成のうえで気候から受ける影響が大きく異なるのではないかと思うのだ。
まあそれはどうでもいい。ところで洲之内さんは、「生前の佐藤哲三が春から夏にかけてはあまり絵をかかず、彼の制作の時期は殆ど晩秋からみぞれの降る頃に集中していること」を指摘し、「長い冬を雪にとざされて暮らす北国の画家である彼が、その自然が彼に向って開かれている季節にどうして絵をかこうとしなかったのか」と疑義を呈している(163頁)。
結局この疑問は解決せぬままおわったのだが、北国で育った画家だからこそ、その時期の風景を無視することはできなかったということなのだろうか。佐藤哲三作品はモノクロ図版では良さが伝わらない。実物(もしくはそれにかわるカラー図版)とは格段の差があるからだ。
図録を買うつもりでなかったのだが、作品があまりに素晴らしく、図録の造本(上製角背)も堅牢でよかったので、買ってしまった(2000円)。
東京駅構内にある東京ステーションギャラリーは初めて行ったのだが、ところどころむき出しになった煉瓦の内壁に絵がかけられている雰囲気は、ポストモダン的美術館が多い中で貴重。煉瓦が抜けた穴には戦災で炭化した木材(?)が顔をのぞかせているのも生々しく、面白い空間だった。

*1:ISBN:4101407215

*2:この文章を書いたあと図録を眺めていたら、なんとこの作品は作者が20歳のときの仕事なのだという。洲之内徹さんの『絵のなかの散歩』を読んで抱いたのは、人生の機微を知りつくした老人が描いたものというイメージだった。