あの唄もこの唄も

流行歌―西條八十物語

次男が生まれて1年が過ぎた。彼が妻のお腹のなかにいるとき、もし女の子だったらと用意していた名前がある。いや、実は女の子の名前しか頭になく、男だと分かって慌てて名前を考えた。その名前とは「嫩」(ふたば)。義太夫狂言「熊谷陣屋」で有名な「一谷嫩軍記」の「嫩」である。字面と読みの第一印象で選んだのだが、あとで辞書を調べたら「若葉」の意だと知り、女の子にふさわしい名前ではないかと自画自賛していた。結局使うことはなかったのだけれど。
この名前を思いついたあと、同じ字を名前にしている人を知った。西條嫩子さん。仏文学者(早大教授)・詩人にして、数多くの流行歌の作詞で有名な西條八十の一人娘である。彼女が書いた父の思い出話『父 西條八十』の存在を知ったことがきっかけではなかっただろうか。自分には西條八十に近い言語センスがあるのかも、などとますます自己満足にひたっていた。
吉川潮さんがこの西條八十を主人公にした評伝小説流行歌はやりうた西條八十物語』*1(新潮社)を上梓された。以前矢野誠一さんの『二枚目の疵』(文藝春秋)に触れ、矢野さんを信頼すべき評伝作家と書いたが(→9/6条)、吉川さんもやはりそういう一人である。対象の人物のことに無知でも、評伝(小説)を読むと、そんなことは気にならなくなり、物語中の人物に感情移入してしまう。
吉川さんの本の場合、『江戸っ子だってねえ―浪曲師廣澤虎造一代』*2江戸前の男―春風亭柳朝一代記』*3『浮かれ三亀松』*4(いずれも新潮文庫、旧読前読後2002/10/1、2003/3/10、2003/8/15各条参照)すべてが期待に違わぬ、いや、期待以上の面白さだった。『浮かれ三亀松』の感想で私は「彼らの挿話を殺すことなく物語にはめ込み、彼らの一生を余すことなく描ききった吉川さんの力量」を評価し、吉川さんの伝記小説の面白さの理由について、こう指摘した。

著者の吉川さんが自らを消して主人公を前面に押し出す透明度の高さがひとつ。事実を正確に記す実証的姿勢もあるに違いない。
本書でも、後に妻になる女性に初めて会った翌日プロポーズをしたという話から、おびただしい流行歌の誕生秘話まで、印象的なエピソードがたくみに配置されている。「あとがき」によれば、第一稿はあまりに逸話を詰め込みすぎたせいで人間が描けておらず、「小説なのに、事実関係を重視したためノンフィクションの評伝に近くなって」いたため、明治大正時代の記述を思い切って削除したという。
上の指摘のように、吉川さんの小説はもとより「事実を正確に記す実証的姿勢」に魅力のひとつがあると考えている。本書の成立過程を述べたこの話は、吉川さんの本が、小説と評伝の微妙なバランスの上で執筆されていることが本人の口から語られた興味深い創作秘話である。
ところで、これまで廣澤虎造・春風亭柳朝柳家三亀松ら寄席の人気者を描いてきた吉川さんが、なぜ西條八十なのか、本書を手にしたときから疑問を持っていた。この疑問は本書を読めば自ずと明らかになる。読みながら「ああ、そういうことだったのか」と一種の快感を味わった。「あとがき」にも書かれてあるし、推理小説のトリックや犯人ではないのだから、とりたてて隠しだてする必要はないかもしれない。けれどもここに書けば、私のように、読むことで謎が氷解するときのカタルシスを味わう人が減ってしまうので、あえて書かないことにする。
西條八十が生涯に書いた詩は1万5000にのぼるという。気が遠くなる数だ。このなかには人口に膾炙した有名な童謡・流行歌がたくさん含まれている。読みながら、「これは(も)西條八十が作詞したのか!」と知った唄が数え切れない。なかには、これまでも個別的に西條八十作詞と聞いたことがある唄も含まれているはずなのだが、すっかり忘れており、あらためて認識した唄も多い。
たとえば、「♪昔恋しい銀座の柳」の「東京行進曲」、「♪唄を忘れた金糸雀は」の「かなりあ」、「♪母さん お肩をたたきましょう」の「肩たたき」、「♪てんてんてんまり てん手鞠」の「鞠と殿さま」、「♪(ハアー)踊り踊るなら(チョイト)東京音頭(ヨイヨイ)」の「東京音頭」、「♪花も嵐も踏み越えて」の「旅の夜風」(映画「愛染かつら」の主題歌)、「♪貴様と俺とは同期の桜」の「同期の桜」*5「♪若く明るい歌声に」の「青い山脈」、「♪吹けば飛ぶよな 将棋の駒に」の「王将」などなど、詩を目にして私でもメロディがすぐ思い浮かぶ流行歌の何と多いことか。
詩は知っていてもメロディが思い浮かばない曲、初めて知った詩もこれ以上に紹介されている。私より年下の世代、いや子供の世代にも、漸減するかもしれないが西條八十作詞にかかる流行歌を知る人は多いに違いなく、彼(および名コンビと謳われた作曲家中山晋平古賀政男ら)のつくりだした名曲の息の長さを思わずにはおれない。
流行歌だけでない。森村誠一の『人間の証明』で有名になった「母さん、僕のあの帽子、どうしたんでせうね?」という詩句も八十の「帽子」という詩の一節だったり、寺山修司の本のタイトルで知っている「誰か故郷を思わざる」という詩句も八十の同名の詩によるものだったり、いかに知らず知らずのうちにわれわれの心の中に八十の詩が染みこんでいるか、びっくりしてしまった。
「♪昔恋しい銀座の柳」をはじめ、銀座の柳、ひいては銀座という町を唄った詩でわかるように、八十はモダン東京の風俗をこよなく愛した詩人であり、またいっぽうで花柳界に遊び、小唄などもよくした洒脱な文人であったことを知ることができたのも嬉しい収穫だった。
「あとがき」の最後に、吉川さんは「私はこの小説を書くために作家になったのだ」と書き、別の箇所に「ライフワーク」ともある。廣澤虎造・春風亭柳朝柳家三亀松の伝記小説は、本書のための壮大な助走だったわけである。

*1:ISBN:4104118044

*2:ISBN:4101376239

*3:ISBN:4101376212

*4:ISBN:4101376247

*5:ただし八十による原詩は「♪君と僕とは二輪の桜」で、これを海軍の軍人が勝手に変えてしまったのだという。