最後の数頁で意図を知る

マガジン青春譜

二日連続して種村季弘『東京百話 天の巻』*1ちくま文庫、→9/30条)がらみの話。同書を読み、はじめてその文章に触れ面白いと思ったのは、大宅壮一だった。同書に採られていたのは「円タク助手の一夜」という文章で、昭和4年『新潮』誌に発表されたもの。そのタイトルのとおり、大宅が一晩「円タク助手」*2になりすまし、そこで乗り込んでくる円タクの利用客数組の姿をスケッチするという内容だ。
現在でも、タクシー運転手の一日(一夜)といったテレビ・ドキュメンタリーを時々目にすることがあり、それらもなかなか見応えがある。大宅の試みはその先駆的な仕事と言えるようか。たんなるスケッチにとどまらず緊張感に富み読ませる文章だった。
大宅の文章が気になったということには、新刊で買っていた猪瀬直樹さんの『マガジン青春譜―川端康成大宅壮一*3(文春文庫)が気にかかっていたということもあったからに違いない。大宅の文章の印象を忘れぬうちにこちらを読むことにした。
本書は、大阪は茨木中学の先輩後輩同士で、1899年生まれの川端康成と1900年生まれの大宅壮一を中心に、大正時代の文壇形成期を描いた群像劇的評伝小説である。中学在学中はお互いを知らず、作品的にもまったく接点のなさそうな二人だが、川端が関与していた第六次『新思潮』を大宅が第七次として引き継ぐときに会い、二人は同じ学校の先輩後輩であることを知ったらしい。
サブタイトルにも川端康成大宅壮一の二人の名前が出ているから、大きな柱であることはたしかだが、本書にはほかにも多くの印象的な人物が登場する。「天才」島田清次郎菊池寛芥川龍之介、新潮社創業者佐藤義亮、改造社の山本実彦、中央公論の滝田樗陰、賀川豊彦横光利一今東光などなど。
こうした文壇群像劇を読んでいると、どうしても連想してしまうのは関川夏央谷口ジローさんの『「坊っちゃん」の時代』(双葉文庫)である。こちらは主に漱石・鴎外・啄木らを通して閉塞した明治の時代精神を描こうという内容だった。これが頭にあるものだから、本書を読んでいて「大正の時代精神」のようなものを汲み取ろうとしたけれど、どうも今ひとつそれが伝わってこない。
二番煎じの失敗作なのかなと思いつつ、でも大正12年9月1日の関東大震災に遭遇した川端と大宅、とりわけ大阪から東京に帰る急行列車のなかで震災の報を得、沼津から徒歩で箱根の山を越え、くたくたになりながら東京下落合の住まいにたどりついた大宅の姿に惹き込まれて読み進んでいるうち、結末までたどりついた。そのときようやく本書の意図を知り、評価はがらりと反転したのである。
漱石や鴎外のように、定収入をバックに作家活動を展開していた明治の作家と大正の作家は違う。不安定で貧しさにあえぎつつ文章を生み出していくいっぽうで、島田清次郎賀川豊彦のように数十万部のベストセラーも生まれるようになる。菊池寛も『真珠夫人』が爆発的人気を呼び、さらに自身『文藝春秋』を創刊して多くの読者を獲得してゆく。物語は、大宅が一枚かんだ新潮社の『社会問題講座』を経て、改造社の『現代日本文学全集』、つまり円本の登場で幕を閉じる。
菊池寛をはじめ芥川や川端ら大正文士はこうした「マス」の波に抗えない。芥川の自殺は、実はこの出版の大量化と無関係ではなかったことが主張されている。芥川が負け組だとすれば、勝ち組はそうしたマスの流れに乗り、自らもつくり出す側にまわった菊池と、もともとマスの世界で創作活動を始めた川端だった。川端康成大宅壮一二人は、少年時代からこれらマス・コミュニケーションの揺籃期に登場した『文章世界』『少年世界』といった雑誌の投稿者だったのである。
なるほど猪瀬さんの関心はマスコミ、マスメディアの誕生という点にあったのだ。よく考えてみれば、以前読んだ『こころの王国―菊池寛文藝春秋の誕生』*4文藝春秋、→9/2条)もまたそんな関心で、菊池寛を中心とした文壇ジャーナリズムをとらえたものだったことを思い出した。同書を読んだときには、『マガジン青春譜』とのつながりを意識していたのに、迂闊すぎる。
山本容子さん描くところの『マガジン青春譜』のカバーには、左から大宅壮一川端康成菊池寛の3人が描かれている。サブタイトルが大宅・川端なのに菊池寛まで描き込まれているのは不審に思われるかもしれないが、それだけ本書では菊池寛も重要な登場人物であることを示すうえに、『こころの王国』まで射程に入れていると思えば納得がいく。

*1:ISBN:4480021019

*2:当時は円タクに助手が必ずいたのだろうか。

*3:ISBN:4167431114

*4:ISBN:4163658505