思い出し方の上手な人

井伏鱒二文集1

ちくま文庫から井伏鱒二のエッセイ選集(全4巻)の刊行が開始された。第一回配本は井伏鱒二文集1 思い出の人々』*1ということで、肉親、先輩や知友の思い出話についての文章が収められている。
読書に身を入れるようになった頃から、気がついたときに少しずつ井伏さんの文庫本を集めてはいたのだけれど、いつものごとく集めるだけで安心して、また、回りくどい“大坂の陣的読書法”をとるために、なかなか本丸に飛び込めないでいた。
そのうちいつの間にか当初と違う外濠を埋めていたようで、すなわち中央線文士の系列につながる井伏の後輩、木山捷平上林暁小沼丹といった面々の作品を先に好んで読むようになり、今回そこを突破口にようやく本丸突入を果たせたという感じがする。このあたりの経緯は以前『荻窪風土記*2新潮文庫、旧読前読後2002/4/11条)を読んだときにも書いている。
さすがに100年近く生きた人だけあって、ここに収められた文章には追悼文として書かれたものが多く、それがいずれも故人のおもかげを暖かいまなざしでふりかえるいい文章ばかりなのである。これら追悼文を入口にしたポルトレを読んでいたら、思わず山口瞳さんを思い出してしまった。追悼文学というジャンルがもしあったら、井伏―山口という流れを外すことはできない。
すでに本書をお読みになった書友モシキさんは、井伏さんが牧野信一にいじめられて泣かされたというところ(「牧野信一のこと」)に注目されていた。この二人の関係、笑っては気の毒なのだが、なぜかおかしい。
さて私はと言えば、友人たちのポルトレ以上に、肉親を語った文章が強く印象に残った。たまに帰省すると「酒を飲むと毒じゃ」と言いながらも次々酒をすすめる母親の姿を描いた「おふくろ」は絶品だ。

私が帰って行くたびに、お袋は憂鬱な気持を誘い出すような口をきく。それが型にはまったようにきまっている。
と困惑しているようでいて、山陰に仕事で旅するついでに田舎に帰ろうと文章を結ぶところなど、母親に対する愛情がにじみ出て微笑ましい。
また、「頑固だと人にいわれるのを自慢しながら頑固にしていた」という祖父について書かれた「書画骨董の災難」も面白い。この井伏さんのお祖父さんは、「新聞を読むときなどにも漢詩を朗読する場合と同様に抑揚をつけて朗読した」という。音読/黙読の一資料ともなろうか。そしておかしいのは次のくだり。
かつて私といっしょに汽車で旅行したときにも、この老人は私の忠告を無視して声を出して新聞を読んだ。そうして私の案じていた通り、新聞記事の迷い子が警察で母親に会いたいといって泣いたという悲しい記事に出会すと、老人は涙声になって実際に泣きながらその記事を読んだ。
母親といい、祖父といい、こうした家族に囲まれて育てられたからこそ、井伏さんのような包容力のある暖かい人柄(と私は勝手に思い込んでいる)の文学者が生まれたのだろう。
編者で解説を書かれた東郷克美さんは、井伏さんのことを、記憶力のいい人であると同時に「思い出し方の上手な人」と表現されており、なるほどと思った。追悼文の名手、ポルトレの名手に共通した条件は「思い出し方」にあるのだ。思い出し方も一種の情報処理術と言えそうだが、人間に対する観察力というインプット能力と思い出し方というアウトプット能力が高度に融合したところに、井伏鱒二という文学者がいるのである。