換骨奪胎の魔術師

兎の秘密

佐野洋さんの作品は昨年から読み始め、いまやいっぱしの佐野ファンを自認している。このあたりの経緯は昨年の12/17条に書いているが、そのおり私は佐野さんを“連作短篇の魔術師”と呼んだ。
今回、新しく文庫に入った連作短篇集『兎の秘密―昔むかしミステリー』*1講談社文庫)を読んでいたらこれまた素晴らしいので、先に“連作短篇の魔術師”と名づけたことなどすっかり忘れていた私は、本書の感想を書くときは“換骨奪胎の魔術師”というタイトルを付けようと固く決意したのだった。佐野ミステリを読み“○○の魔術師”という成語しか頭に浮かばないとはいかにも発想が貧困で情けないのだが、思わずそう呼びたくなるほどのマジシャンぶりなのである。
サブタイトルにある「昔むかしミステリー」や、カバーに描かれた可愛いバニーガールから中味を侮ってはいけない(私は少し侮っていた)。これは超一級のミステリ連作なのである。サブタイトルにあるように、本書は昔話を下敷きに、これらを自由に換骨奪胎して現代に移しかえた作品集で、ミステリとはあるものの、必ずしも全編謎解き物語風ではなく、多種多様なスタイル(たとえば座談会筆記や講演記録など)を試み、読む者を飽きさせない。
全8篇で、下敷きにされている昔話は順に、カチカチ山・桃太郎・浦島太郎・舌切り雀・花咲爺・猿蟹合戦・こぶとり爺さん・一寸法師。これら昔話の構造を骨組みばかりに析出して、いろいろなかたちのストーリーに仕立て上げる。この手法は、本書所収「教訓・花咲爺」に堂々と開陳されている。講演記録がそのまま物語になっている本篇では、話者が「花咲爺」に登場する正直爺さん・意地悪爺さんをAさんBさんという記号に読みかえ、物語の構図をシンプルに理解しようと試みて、解釈のさまざまな可能性を提示する。
私が最初に読んで感激した佐野作品は「北東西南推理館」シリーズであったが、これも読者から送られてきた新聞記事を元に、そこで報じられた事件を分解して物語に仕立てるというものだっただけに、そうした傾向の作品の抜群の面白さから、“換骨奪胎の魔術師”という名称が浮かんできたのである。
このなかでため息が漏れるほど感心したのは、カチカチ山を下敷きにし、そのストーリーをある殺人事件にかぶせながら、ラストで人間の深遠な思惑と時間の堆積をちらりと垣間見せる表題作「兎の秘密」と、引退した刑事が在職中に出会った事件の思い出話をタウン誌に載せるため編集者が聞き書するという構成をとった「舌切り雀事件」である。面白いのは、本書のなかでもこの2篇は謎解き色がもっとも濃い部類に属することで、やはりミステリという作品世界で佐野さんの本領は発揮されるものらしい。
後者「舌切り雀事件」からはつい都筑道夫さんの「退職刑事」シリーズを思い出してしまう。ラストの会話からも続篇が書かれうることが示唆されており、期待を抱かずにはおかない。もっとも本書中ではこの短篇のあとはまったく別個の筋立てを持つ短篇になっているし、そもそも佐野さんは名探偵不要論者らしいから(→7/16条)、はなからシリーズ化の意図など持ち合わせておらず、読者を煙に巻いただけなのかもしれない。