暦の底で光る東京の思い出を探しに

私版東京図絵

水上勉さんがお亡くなりになった。ご冥福をお祈りしたい。先日の種村季弘さんほどではないけれども、名前を多少なりとも知る方が亡くなられるのはショックである。
とはいえ私は、水上作品は直木賞を受賞した「雁の寺」をはじめとする「雁」四部作しか読んでいない(→4/15条)。部屋を見渡せば、水上さんの著書はこの『雁の寺(全)』(文春文庫)に加え、『宇野浩二伝』(中央公論社)・『私版京都図絵』(福武文庫)・『私版東京図絵』(朝日文庫)・『若狭の道』(旺文社文庫)の計5冊を持っていた。
この機会にこのなかから『私版東京図絵』*1を読むことにした。たしか先年東武東上線古本屋めぐりをしたおり、大山の古本屋で手に入れた本で、丁寧にパラフィンがかけられているわりに250円と安かった。この本と『私版京都図絵』は、いつか読みたいと、書棚の見える位置に2冊並べて差しておいていたのである。
若狭に生まれ、少年時京都の禅院で修行を積んだ(この経験が「雁」四部作に結実する)という特異な経験をもつ水上さんのことだから、若狭と京都という二つの場所が作家生活にとって重要な土地になるのだろうと漠然と考えていた。ところが本書を読んで、東京という都市は水上さんにとって大きな意味を持ち、また強い愛着も抱いておられるようで意外だった。水上作品(たとえば『飢餓海峡』)にも東京の街が細かく描かれているらしい。
それもそのはず、水上さんは19歳のとき京都の禅院を脱走し、満州に渡って苦力などで生活をしたあと、21歳のとき東京で寺大工をしていた父を頼って初めて上京し、作家生活の主要な時間は東京で過ごしたのだった。本書は、水上さんが過去暮らした東京の町を訪ね歩くという紀行スタイルをとりながら、住んでいた当時をふりかえる内容となっている。
目次に記された地名を書き上げれば、蓬莱町、動坂目赤不動、柏木五丁目、神田鍛冶町護国寺、富坂二丁目、初音町、高松町、成城六丁目と九ヶ所になる。蓬莱町とは駒込蓬莱町で、動坂目赤不動はすぐ近く。東京大学駒込吉祥寺の中間ほどに位置する。柏木とは大久保付近、高松町とは池袋の郊外千川近くにある。富坂・初音町は小石川こんにゃく閻魔の近く。水上さんは50年の間これらの町々を転々としながら小説家として身を立ててゆく。
むろん最初は無一文で父を頼りに上京したのである。それから戦争をはさみ新聞社や雑誌社の編集者として勤めるかたわら、宇野浩二に師事して彼の口述筆記を行なうといった下積みを重ねた。宇野浩二の口述筆記を勤めるにあたっては、水上さんが例の*2田鎖式速記学校に通ってひととおりの技術を身に付けていたことを知った。
一つ一つの場所、一人一人の人間への思いが色濃く凝縮され、波瀾万丈の人生を送った人なのだなあと感嘆する。自分のこれまでをふりかえってみてもこの水上さんの人生を何十倍も何百倍も薄めた薄っぺらのものにしかならないことに気づき、愕然とする。
繰り返しになるが、水上さんの東京への思いは、大都会に対する嫌悪というものではなく、愛着に近いものであることを知り、意外の念に打たれた。たとえば水上さんは「東京の街は歩かないと駄目だ」と書く。「歩かないと損をする気分が先に立つ」からで、鴎外や宇野浩二、谷崎らの文章の舞台になった東京の町をひたすら歩き、主人公たちと同じ気分になることを楽しんだという。谷崎の「青春物語」に登場する御茶ノ水から本郷までの道を自分で歩いたあと、こんな感慨を漏らす。

文豪たちにとっても東京の街は、それぞれの暦の底できらきら光っていたように思う。(162頁)
とてもいい一節で、きっとそれをたどった水上さんの暦の底でも東京の町はきらきらと光っているに違いない。自分の足で歩かないとこの感覚を得ることはできまい。
上に引いた一節のあと、『飢餓海峡』の舞台のひとつとなった亀戸の町をふりかえり、町の記憶はその町に住んでいた女性の記憶でもあった、「私版東京図絵」は「女友達図絵」でもあったとおどけている。堀切菖蒲園近くに住んでいた女友達の家に泊まった翌朝の情景。
私は、明くる朝、菖蒲園に至る荒川放水路に架かった堀切の橋上を歩いた。あの朝の景色をよく覚えている。女性の名と顔は忘れたが、東京は広い広い幻のような街であった。(167頁)
この文章も素敵だ。
最後に成城に落ち着いたのは水上さんの作家的成功の結果であるわけだが、東宝の映画監督H氏の家を買い取ったものだったという。家には桜の古木があり、その株分けを通じて交遊のあったこの地の住人大岡昇平らとの思い出が静かに語られる。ここでも最後のとどめのように東京への愛着を告白する。
東京は素晴らしい街だ、と何度も言っている理由には、一本の老木に有名無名を問わず、人々がまつわって生きているのである。それぞれの重たい歴史を樹に託して。(183頁)
ため息の出るような素晴らしい文章の連続で、亡くなったことが読む契機だったという情けなさを忘れ、いい本を読ませてもらったと、すがすがしい気分で本を閉じた。いずれ私も本書を携え、水上さんの暦の底にきらりと光るものを探すため、水上さんの思い出が残る町々を歩くことになるのではなかろうか。