『グリーン車の子供』と戸板ミステリ

グリーン車の子供

戸板康二さんのグリーン車の子供』*1講談社文庫)をようやく読み終えた。そう、「ようやく」という言葉がふさわしいほど、読もうと思いつつ未読のままでいた本なのだった。「読み惜しみ」の極致のような本だ。
本書は中村雅楽物のミステリ短篇集として、團十郎切腹事件』*2につづき講談社文庫に収められたものである。表題作は第29回日本推理作家協会賞短篇部門賞を受賞した。そうした、戸板さんの雅楽物のなかでは著名な本であるにもかかわらず、文庫版の成り立ちかたはきわめて異例である。トクマノベルスから新書版で出た元版をそっくりそのまま文庫化したわけではないからだ。だからトクマノベルス版を元版とみなすのも、あるいは正しくないのかもしれない。
以下講談社文庫版収録のタイトルと発表年をまとめる。トクマノベルス版収録作品を太字にした。刊行年はトクマ版が1976年、講談社文庫版が1982年。

  1. 「滝に誘う女」(1960年) ←『歌手の視力』(桃源社、1961年)
  2. 「隣家の消息」(1963年) ←『美少年の死』(広論社、1976年)
  3. 「美少年の死」(1963年) ←『美少年の死』(広論社、1976年)
  4. グリーン車の子供」(1975年)
  5. 「日本のミミ」(1976年)
  6. 「妹の縁談」(1976年)
  7. 「お初さんの逮夜」(1978年)
  8. 「梅の小枝」(1981年)
  9. 「子役の病気」(1981年)
  10. 「二枚目の虫歯」(1981年)
  11. 「神かくし」(1982年)

これを見てもわかるように、講談社文庫版収録作品は三つのグループに大別される。第一に、先行する単行本にすでに収録された雅楽物の再録。1〜3の3作品がそれにあたる。年代的には60年代に書かれた。第二に、トクマ版からの再録。4〜6がそれ。70年代に書かれた。第三に、講談社文庫版が初刊の作品。7以下の5作品が該当する。これらは「お初さんの逮夜」を除き80年代に書かれた。
ちなみに第一グループ再録作品の初刊『歌手の視力』『美少年の死』はいずれもミステリ短篇集で、収録作品は雅楽物ばかりではない。前者の版元は当時推理小説幻想文学の出版で名高い桃源社であり、「戸板康二推理小説集」と銘打たれた函入りクロス装角背の豪華な造りである。ちなみに桃源社からは雅楽物の書き下ろし長篇『第三の演出者』も刊行されている。
後者は耳慣れない版元で、版型は新書版。講談社文庫版に再録された2篇を含め11篇の短篇が収められている。このうち1篇は後年短篇集『うつくしい木乃伊*3河出書房新社)に再録された。つまり『美少年の死』収録全11篇のうち、再録された3篇を除く8篇はこの本でしか読むことができないわけである。
なおこの新書版には、およそ戸板さんの作風にはそぐわない「探偵怪奇小説選集」というシリーズ名が冠せられている。カバーイラストも微笑む能面が二つに割れ、口から血を流す薄気味悪いもの*4。たしかに「美少年の死」は能役者の美少年が被害者ではあるが、「探偵怪奇」という色合いではない。カバー表折返しには横溝正史による「「探偵怪奇小説選集」の刊行を欣ぶ」という推薦の辞があり、カバー裏折返しのラインナップを見ると、横溝正史のほか、江戸川乱歩夢野久作をはじめとした著名ミステリ作家が名前を連ねた短篇集のシリーズだったようだ。
さて、『グリーン車の子供』を編み直し講談社文庫版のようなかたちにしたのが戸板さんの意志によるものなのか、第三者の選択にかかるのかわからない。いずれにせよこのとき除かれた10篇もまたトクマ版でしか読むことができないことになる*5。これまで書名をあげてきた『歌手の視力』『美少年の死』、トクマ版『グリーン車の子供』は、私の経験から言えば入手困難の部類に属する戸板本である。雅楽物については、いずれ『中村雅楽全集』にまとめられる日を待ちたい。
講談社文庫版の内容はと言えば、60年代の3篇は論理的興味が勝った技巧的なミステリで、とりわけ「滝に誘う女」「美少年の死」の2篇は珍しく殺人事件を扱っている*6。いっぽう「隣家の消息」に殺人は登場しない。こちらはむしろ上記の第二グループ、さらには晩年の『家元の女弟子』へとつながる人情噺風ミステリのさきがけをなす作品だと考えられるのかもしれない。
私は雅楽物最後の作品集『家元の女弟子』*7(文春文庫)で雅楽物に目ざめた口だから、当然ながら70年代以降の作品に強く惹かれた。とりわけ中期70年代の4作品は作者の気力が充実した力作と言っていいものである。謎解きと人情噺がうまい具合に溶けあっている。80年代の4作品はこれにくらべ小粒で物足りなさも感じたが、たとえば「二枚目の虫歯」のごとき、戸板さん得意の駄洒落がストーリーの柱となった遊び心満点のユニークな作品も含まれている。
歌舞伎を観ている人間の特権意識のようなものをふりかざすわけでは決してないけれど、やはりこれら戸板作品は歌舞伎を知っていればいるほど楽しめると言っていいのではないか。むろん「グリーン車の子供」のように権威ある賞を受賞したわけだからミステリとしての質も高く一般的にも歓迎される作品はあるのだが、これとて「盛綱陣屋」という芝居を知っていれば、なおのこと作品を深く味わうことができるのである。
このことは、さらに歌舞伎に縁の深い時代小説連作『小説・江戸歌舞伎秘話』*8(扶桑社文庫)にも言えるのであって、こうした読者を選ぶ敷居の高さのようなものが、戸板ミステリの普及を阻んでいるのかもしれない。もったいない話である。
戸板ミステリを味わいつくすためには、歌舞伎はおろか、能や舞踊など日本の古典芸能を広く知っているにしくはないのだけれども、私は、そういったことを離れても、戸板さんの描写力の細かさを楽しむという点で、一般的にもっと受け入れられてよい小説世界であると考える。またもや吉田健一風に言えば、そこには人間が息づいているという気配が濃厚にただよっているからである。
たとえば、「滝に誘う女」の冒頭のシーン、雅楽物のワトソン役である竹野*9の同僚武井がある女性と喫茶店で会って話をしたとき、戯れにテーブルの上に置いてあった運勢くじに手を出す。出てきたくじを見おえたあと、武井は「その五号活字をベタ組に組んだ薄様の紙を畳んで、新聞記者証のケースの裏にしまった」。このいかにも新聞記者ならばそうしそうな自然な描写にうなった。
また、「お初さんの逮夜」での次の描写はどうだろう。前後の説明抜きに引用する。

そう云いながら、素昇の目から、また涙が湧き、「ひとの気も知らないで」
雅楽はそれをチラッと見ると、「当ててみようか」と云った。
「えッ」と素昇が、狼狽したような声で、ひと呼吸呑む気配がした。
「いやさ」と老優は運ばれてきた熱い酒を、卓の三つの杯に順々に注ぎながら云った。
最後の「いやさ」の台詞が何とも効いている。これだけの描写なのだが、歌舞伎の老優が持つ気品と柔らかな身のこなしが伝わってくるのである。雅楽物、ひいては戸板さんの小説を読む愉しみは、一にそうした描写力にあると思うのである。

*1:ISBN:4061362372

*2:ISBN:4061362143

*3:ISBN:4309006353

*4:書影はふじたさん(id:foujita)主宰“戸板康二ダイジェスト”中の「戸板康二の仕事・全著書リスト」をご参照ください。

*5:このうち「句会の短冊」は齋藤慎爾編『俳句殺人事件』(光文社文庫)に収録。

*6:中村雅楽物は殺人がないということが大きな特色として指摘されているが、この点十分な検証を経ておらず、研究の余地がある。

*7:ISBN:4167292092

*8:ISBN:4594032893

*9:彼は別の短篇でたしか大正初年生まれとあった。大正4年生まれの戸板さんが重なりあう。