マイ・高峰秀子・ブーム

わたしの渡世日記

現在東京国立近代美術館フィルムセンターにて、高峰秀子さん出演映画の特集上映「映画女優 高峰秀子」をやっている。これらの映画を観るからには、高峰さんの自伝『わたしの渡世日記』が気にかかっていた。だから先日偶然、荻窪ささま書店で同書の元版上下2冊を各100円で入手できたのは幸運というほかなく、さっそく読みはじめたらとまらなくなり、この週末で2冊とも読み終えてしまった。
複雑な家庭に生まれ、苦労しながら子役から大女優へと成長し、その裏では母をはじめとした肉親との確執に悩まされつづけた半生は、すでに斎藤明美さんの高峰秀子の捨てられない荷物』*1(文春文庫、→2/20条)で承知ずみではあったけれど、あらためて本人の筆で書かれたこれら壮絶な半生を知り、暗澹たる気持ちになった。もっとも書いた本人は自分を悲劇のヒロインといった認識でないのが救われる。
生い立ちや肉親との確執という点はおき、本書の特質は、何と言っても鋭い人間観察だろう。女優人生のなかで出会った映画人はじめ高峰さんを贔屓にした著名人たちのポルトレは、一読鮮烈な印象を読む者に与え、読後なお忘れがたいイメージを残すのである。
高峰さんを「デコちゃん」と可愛がった谷崎や志賀直哉、また画家の梅原龍三郎との交流、また彼らの贅を尽くした私生活。女優では苦悩を抱えた田中絹代や、出演映画を初めて観て、「雷に打たれたようなショック」を与えさせられた杉村春子杉村春子の名演技を観て、「俳優商売の好き嫌いはさておいて、私の胸にフツフツとファイトの煮えたぎる」(上巻249頁)ものを感じたという。
男優では「浮雲」の共演者森雅之芥川比呂志大河内伝次郎エノケン、ロッパら。また監督では、そもそも「デコちゃん」の名付け親で、彼女に女優としてのプロ意識を教えた山本嘉次郎、青春時代互いに淡い恋心を抱きながら仲を引き裂かれた黒澤明、厳しい小津安二郎、それにカラリと陽性な木下恵介と寡黙な成瀬巳喜男という対照的な二人。
本書は松山善三監督と結婚した昭和30年までで自伝としてのピリオドが打たれ、その後のことは叙述の流れのなかで関説されるにすぎないから、映画としては独身最後の「浮雲」がクライマックスとなっている。高峰さんが出演した真の恋愛映画はこの「浮雲」一本くらいしかないと書かれているが、たしかに乏しい私の鑑賞の記憶をたどっても、高峰さんと純愛映画は結びつかない。庶民の貧しい生活を描き込んだ成瀬作品のイメージのみが鮮烈なのである。
必要なこと以外はいっさい喋らず、演技が良かったのか悪かったのかすらわからない。自分の子役時代はどんな印象をもっていたのか聞いてみると「こましゃくれて、イヤな子だった」と答えられて以来、高峰さんは心中で成瀬を「イジワルジイサン」と呼ぶことにする。冗談すら通じないのに、ロケ先へ向かうバスの隣同士に何時間も座らされ、呼吸困難、窒息寸前になって酸素ボンベをくれえと叫びたくなる。でもその成瀬をもっとも理解したのが、高峰さんなのだろう。

成瀬巳喜男は、なにごとも控え目で、自分が前に出ることを嫌った。彼の暖かさと鋭さを合わせ持った眼は、常時市井の下積みといわれる人々に向けられ、映画の題材も好んで庶民の哀歓、人生の機微を描くことに徹していた。(下巻324頁)
本書を読んで、特集上映中に観ておきたい映画が次々とリストアップされた。そのなかには、上映日すでに別の予定が入ってしまっているため、泣く泣く断念した映画もある。やはりもっと前に読むべきだったと後悔する。
そのなかでとくに観ておくべきものとチェックしたのが、木下恵介監督の「笛吹川」である。深沢七郎の原作はずいぶん前に読んだが、いつものごとくすっかり忘れている。原作も読んでいるし、また、松本幸四郎中村吉右衛門兄弟がまだ前名の市川染五郎中村萬之助時代に出演しているという興味もあって、もとより観に行く予定でいた。
高峰さんはこの「笛吹川」を、木下恵介作品の中で、最も重要な作品だと私は思っているし、日本映画の中でも傑出した映画のひとつだと信じている」「作品としての質が高いのはもちろんのこと、香気、品格ともに、私は彼の一等の作品だと思っている」と賛辞を連ねている。本書のなかで自らの出演作品をこれほど絶賛する例はほかにない。高峰さんはこの映画の中で85歳の老婆を演じており、本書にその写真も掲載されている。ますますもって要チェックの映画である。
今回読んだ元版をそのまま残すか、もしくはいずれ文庫版に買い換えるかはともかく、今後日本映画を観ていくうえで何度も参照する本になることは間違いない*2

*1:ISBN:4167656582

*2:文庫版は文春文庫。上巻ISBN:4167587025/下巻ISBN:4167587033