郷土再発見の書

播磨ものがたり

先日池内紀さんの『となりのカフカ光文社新書、→9/1条)を読んだが、極限まで刈り込んだ簡潔さと奇跡的に共存する池内さん独特の表現豊かな文体の中毒症にかかってしまったらしく、読んでも満腹感はおとずれなかった。そこでわが書棚の“池内コーナー”を漁って、未読の池内作品を読むことにした。選んだのは「読まずにホメる」(「〈書評〉のメルマガ」連載)第5回で取り上げた『播磨ものがたり』*1神戸新聞総合出版センター)である。
播磨とは現在の兵庫県南部の旧国名であるが、池内さんはその中心都市姫路のご出身。本書は播州出身の文人の足跡、播州にある歴史的遺物、文化的習俗などを取り上げ、謎解き風に話を展開させた連作短篇集である。
登場人物は、池内さん自身をモデルにしたとおぼしき大学の語学教師の「私」と、その友人で女子大にて思想史を講じる雑学の大家「バリカン先生」(これも池内さんの分身だろう)、そして「私」の教え子で美術史を専攻する播州出身の女子大生園田友子の三人。この三人が播州にまつわるさまざまな「謎」を解いてゆく。
友子は酒井抱一で卒論を書こうとしている。抱一は姫路藩主の実弟だから播州とゆかりの深い画人である。その抱一の弟子が播州に散らばり、いたるところに痕跡を残している。この連作の過程で友子は、抱一で卒論を書いたあと大学院に進学し、今度は抱一周辺の文化的ネットワークに関心を広げて研究を続け、最後にはボストン留学が決まるというエリートコースを歩むことになる。
ところでバリカン先生といえば池内ファンにとっておなじみのキャラクターだ。池内さんの短篇集のなかで私が一番好きな“建築探偵小説”『街が消えた!』*2(新潮社)でも、「私」とバリカン先生のコンビが活躍する。とはいえ『播磨ものがたり』でこの短篇集との連続性が示唆されているわけではない。
池内さんは大学進学とともに姫路を離れたというから、本書は池内さんにとって一種の“郷土再発見の書”であったようだ。執筆のたびに現地に足を運び取材をし、その都度発見がある。

ムダ足を踏んだことは一度もなかった。いつも何かしら発見があった。未知がひらけた。播磨がしだいにひろがっていった。幼いときの住所録製作者は、どうやら錯覚していたらしい。宇宙や世界は意外と狭いのに、播州はけっこう広いのだ。(「あとがき」)
宇宙は狭いけど播州は広い。逆説的な物言いだが、けだし名言である。こんな池内さんの播州再発見ルポを読んでいると、自分の郷里も広かろうし、まだまだこうした再発見のタネが眠っているのだろうなと、東北のわが町を脳裏に思い浮かべる。
読み進めていくうち、突然途中で作品の色合いが変わって戸惑った。「私」もバリカン先生も園田友子も登場しない、まったく別様の短篇(「うつろにふかき」)に出くわしたのだ。仲のいい女子大生二人が淡路旅行をし、帰途一人の下宿する神戸辺の住まいで遭遇した血まみれの惨劇。あまりに唐突で読後いったい何のことだかわからず、てっきり二人が寝ているときに強盗に襲われて傷つけられたという話だとばかり思っていた。だから連作になぜこんな短篇が紛れ込んだのか、訝しんだ。
しかし「あとがき」を読んで事情が判明した。阪神大震災の犠牲者に対する追悼の意味を込めた小説だったのだ。二人は震災に遭遇し死傷したのである。多くの知友が震災で苦労を重ねるかたわら、播州を離れた池内さんは「安全なところにのうのうとしていた」ことに衝撃を受けてこの短篇が生まれたという。
この「うつろにふかき」のあと数篇ばかり、主要三人が登場しない独立した短篇が続き、四つあとの「佐用川のほとり」でようやくもとどおりになる。まるで大地震による揺れが池内さんの心にも波及し、小説の軸もブレてしまったかのように。
本書は神戸新聞総合出版センターという大手版元ではないから、あまり書店の通常の流通ルートに乗りづらいのではないか。知られぬまま入手困難になりはしないかというのが心配のひとつで、だから以前「読まずにホメる」で取り上げた。私は偶然荻窪の古本屋で手に入れたが、いまAmazonのサイトを見ると、まだ絶版品切になっていないようだ。池内ファンはいまのうちに購入されることをお勧めしたい。