信頼すべき評伝作家

二枚目の疵

その人が書いた本ならば内容は問わず必ず買うという著者が何人かいる。書くものによほどの信頼を寄せているからで、だからそうそうたくさんいるわけではない。そのなかの一人が矢野誠一さんである。私の関心とは多少離れるテーマの著書もあるのだが、読まず嫌いをせず読んでみると、そんなことも忘れて惹き込まれる。
矢野さんの新著『二枚目の疵―長谷川一夫の春夏秋冬』*1文藝春秋)もそんな一冊だった。本書は長谷川一夫の評伝である。本書巻末に付いている詳細な年譜によれば、長谷川は1984年に76歳で亡くなっているから記憶に残っていてもいいはずなのだが、まったく関心がなかったゆえか、映像的記憶すらほとんどない。
東京に来て谷中墓地を歩くようになると、墓地のほぼ中央、メインストリートから少し入った場所にある長谷川の墓所を否応なく意識させられる。色鮮やかな花が絶えず供えられており、そばを歩くたび「そんなにすごい人だったのか」と生前の人気のほどを知るのである。
矢野さんの評伝は私事と客観性のバランスが絶妙で、取り上げた人の事績を知ることはむろん、その人が身を置いた世界、時代をも肌で感じることができる、いずれもすぐれた作品となっている。志ん生のいる風景』(文春文庫、旧読前読後2001/10/9条参照)しかり、『女興行師吉本せい(中公文庫、同2002/9/2条参照)しかり、三遊亭圓朝の明治』(文春新書)も、エノケン・ロッパの時代』岩波新書、同2001/9/23条参照)も、戸板康二の歳月』文藝春秋、同2000/7/16条参照)に至るまで、その人物について拠るべき定本といった品格が備わっている。
本書もまた期待に違わなかった。長谷川一夫は、小芝居の子役時代に見いだされ初代中村鴈治郎の長男林長三郎の部屋子となり、鴈治郎の早世した次男の名前をもらい林長二郎と名乗る。しかも鴈治郎の娘を娶って成駒屋の将来を担う若女形として嘱望されていたのだが、松竹に乞われて映画界入りし、またたくまにトップスターとなった。東宝に引き抜かれ移籍した直後、有名な傷害事件に巻き込まれる。左頬を切りつけられたのである。
本書はこの傷害事件の「真相を初めて明らかにした」と帯に書いてある。事件の重大さを前から知っていた人にとってみれば、この意義は大きなものとなるのだろうが、そういうことがあったという程度の知識しかなかった私にとって、明らかになったことの衝撃はピンとこない。それよりも、亡くなるまで女性から絶大な人気を得ていた色男長谷川一夫という役者の人となりを、矢野さんの信頼のおける評伝作法で知ることができたのが嬉しい。
本書のキーワードは「被害者意識」「いじめられっ子」であろうか。長谷川一夫は終生被害者意識を抱きつづけていた人間だという。歌舞伎役者から映画の世界に入りトップスターになったものの、歌舞伎への未練を捨てていなかった。しかし歌舞伎役者らは、彼を名題下の部屋子あがりと蔑視した。スターでありながら望む世界では受け入れられない。妬みからふりかかる災いをつねに恐れていたというのである。
いっぽうで、六代目菊五郎に通じるような長谷川一夫のスターぶりを語るエピソードにも事欠かない。戦後歌舞伎役者らと対等に共演できるようになったとき、歌右衛門勘三郎とはうまくいったものの、八代目幸四郎とは確執があったという。長谷川一夫という人物を通し、歌右衛門の政治性、勘三郎の度量の広さ、幸四郎の不器用さが浮かび上がる。長谷川一夫の人となりは次のように描かれる。

どんな芝居を書かれてもかまわないというのではなく、たとえ台本にどう書かれてあっても、舞台の上で芝居をするのは自分だという意識が人一倍強い、というよりほとんどそれだけでこしらえてきたのが、長谷川一夫の芝居だった。(148頁)
こんな自己主張とも、高慢とも無縁の、無邪気につきる長谷川一夫の有名人意識は、世にいう大スターに特有のもので、作品ばかりか人生に出あうあらゆる場面でいつも主役をはっている人間だけが持ち得るものだった。(163頁)
評伝にかぎらず、矢野さんの著作に通底しているのは、東京山の手っ子意識である。これは悪い意味ではない。つねにそうした自己認識のうえに立ち、視点が揺るがない。揺るがないからこそ、尻軽に長谷川に対する態度を豹変させた安藤鶴夫に対し叙述を脱線させてまで手厳しい批判を加える(「一本刀土俵入」)。
それはそうと、プロローグにあたる「隣の家」では、タイトルどおり、敗戦直後矢野さんが子供の頃、矢野家の隣の家(もと近衛文麿の妾の家だったという)に長谷川一夫が越してきた思い出から語り出されているのは効果絶大である。このエピソードも矢野さんの山の手育ち意識と無関係ではない。
先に私は、長谷川一夫の映像的記憶がほとんどないと書いた。しかしよく考えてみれば、数年前ラピュタ阿佐ヶ谷にて、頬を切られた長谷川の復帰第一作映画である「藤十郎の恋」を観たはずなのである。ところが記憶にあるのは、坂田藤十郎に偽りの告白をされた芝居茶屋の女将役入江たか子の凄艶な姿のみ。しかも別の映画「歌行燈」の主役花柳章太郎と混同している始末。いずれまた長谷川一夫の映画も観る機会があるだろう。
本書はカバー、表紙、見返し紙、扉の題字に上品な紫があしらわれ、造本的にも好ましい仕上がりとなっている。