松本竣介の像定着せり

求道の画家 松本竣介

宇佐美承さんの『求道の画家 松本竣介―ひたむきの三十六年』*1中公新書)を読み終えた。宇佐美さんの別著『池袋モンパルナス』*2集英社文庫、→4/12条)を読んだときに本書の存在を知り、ほどなく職場近くの古本屋で手に入れることができたのは幸運だった。
「あとがき」によれば、『池袋モンパルナス』と本書は姉妹編という位置づけで書かれたという。『池袋モンパルナス』にはたくさんの画家たちが登場するが、なかでも松本竣介一人を選んで一書にしたのは、「かれがその時代をことのほか真摯に生きたからだ」「竣介はだれよりも健気であり、そのぶん哀れであった」という点に惹かれたからだとする。
竣介は旧姓佐藤。岩手県盛岡の出身で旧南部藩の下級武士の家に生まれ、竣介が生まれたとき父はシードル(発泡性林檎酒)の製造販売で比較的余裕のある暮らし向きだったという。しかしながら竣介は、盛岡中学(現盛岡一高)に一番で合格しその入学式を控えた前日、脳脊髄膜炎に罹り、一命をとりとめたが13歳で聴力を失ってしまう。その後絵の道を志し、親や兄弟の助けもあって上京し東京暮らしを始める。
生涯の伴侶となる女性松本禎子と出会ったのが23歳のとき。その年に結婚した。禎子は慶応大学予科英語科教授の娘で山の手育ち。結婚後竣介は松本家の籍に入り以来松本竣介となる*3
『池袋モンパルナス』に登場する、池袋駅東口の田園に建てられた粗悪なアトリエに住まった貧しい画家たちと対照的に、竣介は結婚後妻の親に家を借りてもらい、そこで暮らすようになる。面白いのは、その立地が下落合(現新宿区中井)の丘の上であることだ。宇佐美さんによれば、この山は西武電車敷設以前に島津製作所社長夫人*4が坪二銭で買い、雑木林を切り開いてそこに小径をつけ一の坂、二の坂、三の坂、四の坂と名づけ、一区画ごとに広い敷地をとってそれぞれに趣の違う家を建て、文化人らに貸したのだという。
いまこの場所でもっとも有名なのは林芙美子邸(現新宿区立林芙美子記念館)であり、彼女の豪邸は四の坂中腹の南斜面という絶好のロケーションにある。かつて同記念館を訪れたとき周辺を歩いたが、落ち着いた屋敷が並ぶ高級住宅地と呼ぶべき地域で、一帯が島津夫人開発の住宅地だったわけである。松本邸は、「エピローグ」によれば近年(90年代)まで現存していたものの、老朽化のため建て替えられたという。
私はこれまで松本竣介については、絵を見たり、洲之内徹さんのエッセイなどで断片的に知る程度に過ぎなかった。あたかもクロッキーの紙を叩いたら紙から炭の粒子が落ちてしまい描いたものが消え失せるようなあやふやな印象と言うべきだろうか。そうした竣介の像が、本書を読んで、定着液を塗布され紙の上にしっかりと定着した。
上記「エピローグ」は禎子未亡人のモノローグというスタイルで叙述されている。このなかで禎子未亡人は、洲之内さんによる竣介批判に触れている。洲之内さんは、竣介の絵は大好きなのだが、大上段に構えたような押しつけがましい文章が大嫌いだといろいろな機会に書いている。たとえば『絵のなかの散歩』*5新潮文庫)所収「松本竣介ニコライ堂」」でも、彼の文章を取り上げ「なんとなく虚しく、空々しい」と辛辣な批判を浴びせる。
禎子未亡人もまた、洲之内さんと同じく竣介の文章には抵抗があると告白する。ただ、文章に建前論が多く押しつけがましいのは、会話が筆談であり、そこに雑談の要素が乏しく、また筆談での自分の発言が活字で得た知識を主とするものであったため、話し方も書き方も気負ったものになってしまったのではないかと指摘する。妻として常日頃筆談を交わした相手だからこその鋭い見方である。
洲之内さんが主として嫌ったのは、著名な「生きてゐる画家」という一文(1941年)である。これは同じ雑誌『みずゑ』に掲載された座談会「国防国家と美術」に対する反論だった。ここである軍人が、絵描きも国策に協力せよ、さもなければ絵の具の配給を止め、展覧会も開かせないといった暴言を吐き、これに憤った竣介は猛烈な批判文を書いたのである。竣介が敵意をむきだしにした相手の名は鈴木庫三少佐。奇しくも同じ中公新書で今月、その鈴木少佐による「国防国家」構想を論じた言論統制―情報官・鈴木庫三と教育の国防国家』*6佐藤卓巳著)が出た。
来月の「〈書評〉のメルマガ」の「読まずにホメる」で同書を取り上げるつもりでいた私は、宇佐美さんの本で松本竣介が「生きてゐる画家」を書く原因となった人物として鈴木少佐の名前があげられているのに出くわし、とても驚いたのである。まったく異世界と思われた二つの本が結びつき、『言論統制』を読む強力な動機づけにもなったのはこのうえなく嬉しいことだった。

*1:ISBN:4121011082

*2:ISBN:4087482731

*3:禎子はのち家計を助けるため主婦の友社の編集者となったという。主婦の友社といえば獅子文六を思い出す。つながりがあるのかないのか興味津々。

*4:島津製作所のサイトで調べてみると、二代目島津源蔵社長(1869-1951)の夫人か。

*5:ISBN:4101407223

*6:ISBN:4121017595