物語を拒否するための呪文

ポロポロ

田中小実昌さんの代表作とされる短篇集『ポロポロ』*1河出文庫)を読み終えた。
村松友視さんが『海』編集者時代に小実昌さんに『ポロポロ』連作を書かせたという話を、その著書『夢の始末書』*2ちくま文庫)で読み、以来気になっていた本だった。村松さんは小説執筆依頼をして送られてきた「ポロポロ」を読み、「私は「ポロポロ」の奇妙な味わいに、巨大な細密画で、しかもよく見ると一筆書きになっているような世界に触れる思いが生じた」(251頁)と回想している。
その後渋茶庵さんから中公文庫版*3を恵まれたにもかかわらず不義理をしてしまい、結局河出文庫版が新刊として出たのを機会に読んだのだから、またまた自分の買った本・貰った本が読めない病を再確認したのだった。
ただ小実昌さんの本の場合、たんに「読めない病」が原因とばかりは言えないかもしれない。以前ちくま文庫から出たエッセイ・コレクションもすべて購入し、職場に持って行って仕事中の隙間の時間に読み進めていたのだけれど、そのままになってしまっていた。そもそも仕事の合間に小実昌作品を読むことが間違いなのかもしれず、でもしっくりと肌が合わない印象も持っていたのだった。
以前読んだエッセイ『ぼくのシネマ・グラフィティ』新潮文庫、→3/29条)は面白く読めたのだが、恐れていたとおり、「ポロポロ」は何が何だかわけがわからなかった。この連作は「ポロポロ」以外の6篇はすべて初年兵として中国におもむいたときの戦争体験をもとにしている。次の「北川はぼくに」堀江敏幸さんが『文藝別冊 総特集田中小実昌』のなかで「突出してみごとな短篇」と評しているものの、やはりこれも難解だった。
だが、次々と読み進めていくうちに、だんだんと小実昌さんの思想というか、小説への態度を感じ取ることができるようになってきたのである。はっきりと「そうだったのか」と納得したのは「鏡の顔」を読んだときである。
ここで小実昌さんは、遠い戦場にいたとき、死ぬ前に父母や妹に会いたいとか、兵隊に行く前に東京を見ておこうという「フレーズ」が自分の中にまったくなかったことを繰り返し述べている。また敗戦後無蓋の貨車のなかにぎゅうぎゅう詰めにされて武昌に連行されたことについて、「あんまりより道せずに」と書いたあと、こう書いている。

このあんまりというのも言葉として記憶しており、二、三日で武昌にいけたのか、十日ぐらいかかったのかはわからない。(157頁、原文あんまりに傍点あり)
その次の「寝台の穴」「大尾のこと」ではこうした考え方がつきつめられ、戦争体験を物語化することへの拒否感が執拗に表明される。
ほんとの大尾が消える、などとも言うまい。ほんと、なんて言葉もまぎらわしい。戦争の悲劇とか、戦争の被害者とか、そんな言葉は、ぼくはつかったことはないが、そういう言葉をつかうのとおなじことを、ぼくはしゃべってきた。(「大尾のこと」)
わたしたちはまわりにあるモノや出来事を言葉という道具を使って理解する。世界の分節化ということだ。言葉を使った時点で、すでに対象は物語化されているのであり、小実昌さんはそのことに生理的な違和感をおぼえていたのだろう。「あんまり」とか、「ほんと」とか、「ひょいと」などという「物語(時間)用語」を使うたび、立ち止まって物語化の意思がないことを弁解する。
解説の言語学者田中克彦さんは、「ポロポロ」を「しょっぱなに読む作品としてはわかりにくい」として、それ以外の6篇を読み込み、「小実昌体験を充分に味わった上で、それを下敷きにしながら、いよいよ冒頭の「ポロポロ」にもどろう」と書いている。なるほどそうか。全編読んだあと解説を最後に読んだ私は、田中さんの言にしたがい、いまいちど冒頭の「ポロポロ」を読み返してみた。
すると初読のおりにはちんぷんかんぷんだった内容が、いくぶんかはわかるような気分になっているから不思議である。ポロポロというのははっきりと文章になった祈りの言葉ではなく、言葉にならない叫び、つぶやきといった「異言」であるという。神に祈るのに聖書の言葉を唱えるのではなく、ただポロポロやるのである。
だが、ポロポロは宗教経験でさえない。経験は身につき、残るが、ポロポロはのこらない。だから、たえず、ポロポロを受けてなくてはいけない。(28頁)
結局「ポロポロ」という異言は、異言なればこそ最初から物語を生みだすことを拒否している。対象を分節化して世界を理解するという人間特有の知的営為を拒否するための「呪文」のようなものなのだと思えばいいのだろうか。などと考えてはみたものの、まだまだ小実昌さんの作品世界を感得する道ははっきりと見えていない。