かけめしの力

汁かけめし快食學

ちょっと前にコンビニで「ラーハン」という食品を見つけ、驚くいっぽうで「ついにここまできたかあ」と感心した。ラーハンとは、ラーメンのスープと乾燥具材・無菌パックのご飯が一緒になったもので、最初から「ラーメンライス」を作るという食品である*1。かつて永谷園から「ラーメン茶漬け」が発売されたが、これは自前のご飯にこれをお茶漬けの素よろしくふりかけ、お湯を注いで食べるものであったので、ラーハンはさらにその思想を一歩進めるものであるわけである。
学生時代ひとり暮らしをしていたとき、インスタントラーメンの残りスープにご飯を入れてかっ込むのが好きだった。一番美味しかったのは「サッポロ一番 みそラーメン」であり、いまでも時々無性にこれをやりたくなることがある。けれども結婚後台所に立つことがほんどなくなったせいで、インスタントラーメンですら作るのが億劫でさっぱり実現しない。カップラーメンの残りスープではいまひとつ感じが出ないのである。
ひとり暮らしのときのラーメンライスだって面倒くさがり料理の極致だと思っていたが、いまでは面倒くさがりに輪をかけて作る気すら起こらない。ところが遠藤哲夫さんの文庫新刊汁かけめし快食學』*2ちくま文庫)を読むと、汁かけめしぶっかけめし)は立派な料理であって、面倒くさがりという観点から語られるべきものでなく、日本の食文化に特有の食べ方であることがわかって刺激的だった。遠藤さんは、日本人が飯に何かの汁をかけたり、何かをのっけたりして食べる食べ方を「かけめし力」という老人力の親戚のような言葉を使って表現している。してみると、学生時代というのは私にとって(あるいは一般的に)「かけめし力」が旺盛な年頃だったと言い換えることができるのかもしれない。
本書では究極の汁かけめしをカレーライスであるとする。カレーライスの話でよく言われる、伝来経路、元祖、呼び方(カレーライスかライスカレーか)といった議論は瑣末なものであって、現実にわたしたちが食べているカレーライスという料理そのもののあり方こそが大事であると強調し、室町時代から続く汁かけ飯文化なかに位置づける。味噌汁の味噌がカレー粉に代わっただけに過ぎないのである。本書は、現実に食べられている汁かけめしの姿をひたすら追いかけ日本人の「かけめし力」というものを示した、日本の食生活史に新たな一ページを加える本であると言える。
ふりかえれば、わが郷里山形はこうした「かけめし力」が大きい地域なのかもしれないと気づいた。いや、山形だけでなく一般的なものかもしれないし、わが家だけのことかもしれない。納豆の食べ方一つでも、シンプルに醤油を加える方法だけでなく、卵を入れたりとろろを加えたりもする。まあここまではよくあるだろう。さらに、サイコロ状に細かく刻んだプロセスチーズをまぜた「納豆チーズ」、味噌と砂糖を加えた「納豆味噌」という食べ方もあった。ああ、いま書いていて「納豆味噌」を食べたくなってしまった。
納豆だけでなく、大根おろしに酢と醤油をたらしてご飯にのせたりもした。これは本書にも書かれてあるが、もっと単純にバターをのせて醤油をかけて食べたこともあった。
遠藤さんの本では山形の汁かけ飯として「とろろ」があげられているが、他地域に類例を見ない(と思われる)独特のかけ飯がある。「だし」である。「だし」については以前書いたことがある(旧読前読後2000/8/4、2002/8/19条)。ナス・キュウリ・ミョウガ・ネギ・ショウガ・オクラ・オオバといった野菜を細かく刻んで混ぜ、そこに好みで七味をふりかけ、醤油をたらして味付けしたものをアツアツのご飯にかけてかっこむ。食欲の減退する夏にもってこいのかけ飯であり、ご飯が何杯でもいただける。今ではこの「だし」も商品化され(→販売元マルハチ)スーパーの漬物売場に並んでいたりするほど、全国区になりつつあるようだ。
もっとも以前も書いたように、この食べ方は必ずしも山形だけのものではなく、夏野菜の料理法としてごく簡便にして効果的なものであるようで、幸田文さんもこれに似た食べ方を好んでいたらしい。

珍しいものや高級料理も、もちろん経験しているが、ふだんはおもに平凡な有り合わせ、ただし、鮮度には鋭い。
ちょっと待ってね、というともう、キュウリとナスとミョウガを洗って、ごくこまかいサイの目に包丁の音をきざみ、ガラスバチへうつして、ショウユをふりかけ、さっとかきまわして、形を整えると、さあという涼しさである。(「夏をきざむ」、岩波書店幸田文全集』第14巻所収)
かくて本書を読んで思いがけずわが「かけめし歴」をふりかえる仕儀となった。ことほどさように本書は「かけめし力」を論じて読む者の眠っていた「かけめし力」を覚醒させる強い力を持った本である。本書を読んで「かけめし力」が呼び覚まされないあなたは、ひょっとしたら、日本人でないかもしれない。

*1:発売元マルハのプレスリリースを見ると3月に発売されていたようだ。気づくのが遅い。

*2:ISBN:4480039783