「天野忠毒」一歩手前

北園町九十三番地

一昨日山田稔さんの『北園町九十三番地―天野忠さんのこと』編集工房ノア)を古書ほうろうで手に入れ帰宅したあと、平野甲賀さんの装幀にかかるこの本をためつすがめつなでさすりながら、我慢できず最初の数行を読み始めたところ、止まらずいつしか数頁に達してしまった。結局読書中の本をさしおいてそのまま読むことにしたのである。山田さんと詩人天野忠さんの出会いを記した書き出しが素晴らしくて、あれでは途中で本を置くことはできない。
その書き出しというのは、山田さんが京都大学人文科学研究所助手だった二十代後半の頃奈良女子大に非常勤講師として教えに行っていたさい、帰りにときどき一緒になる「かなり年配の」「老人くさい」大学の図書館職員の人の思い出で、これがのちに親しく交わることになる天野さんのことなのである。偶然にも二人の住まいは京都の下鴨で近所だった。
後年天野さんの詩集が読売文学賞を受賞したという新聞報道を読み、あのときの人物と同一人物であることを確認する。さっそく受賞した詩集を取り寄せて読んだところ、一気に魅了され、懐旧の情にもかられた山田さんは、受賞祝いと詩集の感想に加え昔の思い出も認めた葉書を出したら、すぐ返書が来た。ここから二人の交遊がはじまる。
諧謔と韜晦と老成の詩人天野忠諧謔と含羞の文人山田稔二人の、つかずはなれず適度に距離をおいた、でも親しみの情が自ずとにじみ出るような交わりが、時間を行きつ戻りつしながら達意の文章で綴られてゆく。
自著が刊行されたり自分の文章が載った雑誌が出たときには、散歩がてら相手の家を訪ね、しかし直接手渡しするのではなく郵便受に入れるだけ。二、三日すると葉書で礼状が届く。相手の懐に飛び込んで離れないようなべったりの関係でなく、一定の距離をとった間合いが絶妙で、天野さんのユーモアが山田さんのユーモアに包まれ、とびきり良質な二重のユーモアとなってわたしたちに提供される。
天野忠」を誤植で「天野患」にされ、実際そのとき病気を抱えた状態であったために苦り切る姿は、当人には気の毒だけれどそこはかとないユーモアに満ち頬をゆるませざるをえないし、また大著『続天野忠詩集』が出たときこれを五冊も欲しい人がいるということに対し、「五冊も何にしはるんやろ。香奠返しにでも使わはるんやろか」と嬉しさを押し隠す微醺をおびた諧謔には読みながら笑いが洩れる。
山田さんは、実は詩よりも思い出話から成る散文が好きだとして、こう書く。

そこには自分を小さく、貧しく、弱虫に見せかけておいて相手を油断させ、その隙にすばやく観察する気配、エスプリが感じられる。回顧によって程よく薄められたそのエスプリの毒にやわらかく痺れる感覚が何とも言えずこころよく、それが習慣となるのを私はひそかに「天野忠毒」と称しているのだが。(38頁)
本書のことが気にかかるようになったのは、坪内祐三さんの『雑読系』*1晶文社)がきっかけである。このなかの一篇「下鴨北園町九十三番地」では、本書が著者から思いがけず献本されたときの嬉しさが素直に語られ、また山田稔コーナーがあるという青山ブックセンターの話も登場する。
坪内さんは本書を「思っていた以上に素晴らしい一冊」としたうえで、上で私も触れた二人の出会いが記される書き出しを、引用を交えつつ要約紹介している。何度か読んだはずだが、すっかり忘れていた。記憶の深層にこの坪内さんの文章があったからこそ、書き出しに魅せられたのかもしれない。坪内さんは本書の中味については、この書き出しを具体的に紹介するのみにとどまっているのだが、それだけで本書の魅力がすっかり伝わってくるのだからさすがと言うほかない。
本書を読むと天野忠という詩人の詩とエッセイに興味を持たずにはいられなくなる。本書と同じ版元から出ている詩集・随筆集も多く入手困難になりつつあるようで、これから注意して探していきたいと思っている。
天野さんは井伏鱒二とそれに連なる木山捷平小沼丹上林暁といった文士が好きだったという。天野さんの詩にも何とも言えないユーモアがあって素晴らしいのだ。最近どうも自分のなかでは「詩の季節」になりつつあるらしい。本書に数多く引かれた天野さんの詩のなかで、もっとも惹かれた一篇は次の「動物園の珍しい動物」である。
セネガルの動物園に珍しい動物がきた
「人嫌い」と貼札が出た
背中を見せて
その動物は椅子にかけていた
じいっと青天井を見てばかりいた
一日中そうしていた
夜になって動物園の客が帰ると
「人嫌い」は内から鍵をはずし
ソッと家へ帰って行った
朝は客の来る前に来て
内から鍵をかけた
「人嫌い」は背中を見せて椅子にかけ
じいっと青天井を見てばかりいた
一日中そうしていた
昼食は奥さんがミルクとパンを差し入れた
雨の日はコーモリ傘をもってきた。