栄光の文学座

回想の文学座

文学座には忘れられない思い出がある。約2年半前、信濃町にある文学座アトリエで創立65周年企画として上演された久保田万太郎作「大寺学校」を観に行ったことだ。このときの感激は旧読前読後2002/2/3条に縷々書いたが、アトリエの雰囲気、加藤武さん主演の芝居の中味はもちろんのこと、終演後の「交流会」が素晴らしかった。
劇団の節目となる公演ということもあってか、あるいはこの日に「交流会」があることが事前に知られていたためか(私は知らなかったが)、長岡輝子さん・丹阿弥谷津子さんといった元座員の重鎮のほか、文学座ファンだという新藤兼人監督に間近に接することができたからだ。文学座のことを何も知らない素人が何という空間にいたのだろうと、あのときのことを夢のように思い返す。
ところで先日DVDで観た「七人の侍」では、七人のうちの一人を演じた宮口精二の姿に惹かれた。映画で思い出す彼の姿は、私の乏しい経験ではせいぜい「流れる」の鋸山と「張込み」の刑事役の二つ。しかしそれぞれ強烈な存在感をはなつ。狷介に見えながら実は暖かそうな人柄に、わが大学の恩師の居ずまいを重ね合わせてしまうのである。
宮口精二の姿でいまひとつ印象に残っているのは、以前古本で購入した北見治一『回想の文学座*1中公新書)の口絵写真である。これを見て宮口が文学座に所属していたことを知ったのだ。
その口絵写真とは、創立25年祝賀パーティの余興で、創立以来の座員が裃を着し歌舞伎の口上よろしくアトリエの壇上に横一列に並び平伏しているシーンを撮ったもので、龍岡晋中村伸郎・三津田健・杉村春子宮口精二戌井市郎が並んでいる。三津田健が頭をあげ何か面白い口上を言っているらしく、杉村ほかのメンバーは皆顔に笑みを浮かべている。宮口はもっとも平伏して顔がほとんど見えないのだけれど、わずかにのぞく笑顔がなぜか印象的だった。
本書著者の北見治一さんも(元)座員であり、創立メンバーでこそないものの、主だった役どころを与えられた主要メンバーの一人だったらしい。また、役者のかたわら「座史」を編纂著述するといった文筆家的才能も有した人で、芝居からの逃場が文筆活動だったという告白がなされている(207頁)。本書はその北見さんの筆により、久保田万太郎岸田國士岩田豊雄獅子文六)の「三幹事制」を敷いてから戦後の分裂騒ぎに至る文学座の波瀾の歴史が綴られている。
久保田・岸田・岩田三幹事、大黒柱杉村春子・自殺した加藤道夫・芥川比呂志ら役者陣、森本薫・矢代静一福田恆存三島由紀夫ら「座付作者」と文学座の関わりが、「座史」編纂者たる著者による客観的なまなざしで捉えられる。とりわけ福田恆存を中心とした劇団雲の分裂騒動、久保田万太郎の急逝・岩田豊雄の幹事退任による創立以来の制度の消滅、三島作「喜びの琴」上演中止事件を発端とする第二次分裂騒ぎあたりの後半は息もつかせぬ面白さだった。北見さんご自身は「喜びの琴」事件で退座した組に入る。
三幹事のなかで北見さんがもっとも好意を寄せていたのが岩田豊雄であり、また三島からはその演技を買われていた。そのため本書のなかで岩田・三島と著者との交流に関するエピソードはわけても鮮やかに記憶に刻まれる。これまで小説家獅子文六として知るだけだった岩田豊雄の演劇人として一面を知ることができた。北見さんは岩田の人物像をこうスケッチする。

人生の達人岩田豊雄は、感情をいちいち表にだすひとではなかった。それでも話題によっては、一瞬いかにも好奇的な眼をかがやかせ、こっちの心の奥までみすえようとすることがあった。あれはやはり作家の眼だったろう。(126頁)
そんな「好奇的な眼をかがやかせ」たような写真一葉が口絵に掲載されている。
信濃町のアトリエに文学座が移ったのは昭和25年のことで、公演のあとの交流会は伝統のようである。アトリエ公演を回想する章で「終演後、作者、演出者、出演者と、客とのインチメートなディスカッションがおこなわれ」(155頁)とあり、こうした「インチメート」な雰囲気が文学座の特徴のひとつでもあるのだろう。
私が経験した交流会では、「大寺学校」の主演加藤武さんが持ち前の話術を駆使して三幹事の物真似をするなど場内をなごませた。当時は久保田万太郎への興味から文学座の芝居を観に行ったわけだが、このとき、加藤さんによる岩田豊雄獅子文六の話もしっかりと記憶にとどめておくべきだったと悔やんでも、もう遅い。