おもろい夫婦

下駄に降る雨/月桂樹/赤い靴下

先日井伏鱒二全詩集』*1岩波文庫)を読み感じたことのひとつに、井伏の詩に近い雰囲気を持つ詩を作る人はいるだろうかということだった。詩を読まない人間なので乏しい読書経験からの印象に過ぎないが、井伏に兄事した木山捷平の詩がまず思い浮かんだ。そこで木山捷平全詩集』*2講談社文芸文庫)をめくると、こんな詩篇が目に飛び込んできた。

濡縁におき忘れた下駄に雨がふつてゐるやうな
どうせ濡れだしたものならもつと濡らしておいてやれと言ふやうな
そんな具合にして僕の五十年も暮れようとしてゐた。
昭和31年(1956)に作られた「五十年」という詩である。全詩集巻末の木山みさを未亡人による「著者に代わって読者へ」には、没後当の井伏鱒二河盛好蔵二人が「五十年」をベストに推した話が紹介されている。故郷備中の笠岡市にある図書館脇にこの詩を刻んだ文学碑が建っているそうだ。
もっとも上記の詩「五十年」は井伏の詩に必ずしも近いとはいえない。木山の詩は全般的に、井伏の詩に見られるとぼけた味わいは薄く、どちらかといえば土臭い。民話にあるようなユーモアといえばいいだろうか。
とぼけたユーモアといえば、木山捷平の場合詩ではなく、何と言っても小説だろう。全詩集を手に取った勢いで、未読の作品集に手をのばした。『下駄にふる雨/月桂樹/赤い靴下』*3講談社文芸文庫)である。本書には木山晩年の10年間(54〜64歳)に発表された短篇12篇が収録されている。そのいずれもがとぼけたユーモアに富んだ絶品で、読みながら思わず笑ってしまうのだった。
木山作品の面白さに開眼するきっかけとなった『鳴るは風鈴―木山捷平ユーモア小説選』*4講談社文芸文庫、旧読前読後2001/8/14条参照)には、坪内祐三さんが「テーマがなく「ゆるい」文章だからこそ現役の作家」という解説を書いている。坪内さんは木山捷平の小説世界を「はっきり言って、木山捷平にはテーマがない。これは凄いことだ。木山捷平は、別段、文学を構築しようとしていない。逆に言えば、木山捷平にとって、表現行為そのものが文学なのだ」とするが、まさにそのとおり。とくに起承転結があるわけでなく、話柄が次々と飛んで何が主題なのかわからないまま終ってしまう。しかしそれこそが木山捷平的世界と言える。
すでに『鳴るは風鈴』を読んだときも主人公の妻に注目していたが、今回読んだ短篇集でもまた、主人公とその妻のやりとりが何ともおかしかった。これはむろん現実の木山と夫人のやりとりを写したものだろう。「下駄にふる雨」では、旧友の大学教授と飲んだとき陰毛に白髪がまじるようになったと告白されたのを気にし、帰宅後自分のものを調べたところ見つからなかった。ところがそれでも物足りず風呂で妻の前ににゅっと立ち上がり、「ここに白毛が出ているかどうか見てくれ」と頼み込む。妻は「まあ、いやねえ」といいながら指先で丹念に草の根を分けるように調べて、ひと言。
「ございません。一本も出ておりません」
主人公はほっと一安心。ああ何たる間合いの妙。「ございません」というしゃちこばった返事が効果抜群である。和服を着て正座した棋士が投了する姿をなぜか思い浮かべる。
「裏の山」は、岡山の生家に疎開していた戦後直後の頃の話だが、生家の裏山に夫婦で薪拾いに行ったときのエピソードが秀逸だ。ある木に青豆のような実がなっているのを発見した「私」は、その木によじ登る。ところが右のふくらはぎを蜂に刺されてしまう。「私」は「早くここに小便をかけてくれ。こら、早くしないと毒がからだに回ってしまうぞ」と妻に命じる。ためらう妻に「こんな山の中で見栄をはるな」と一喝した。
夫唱婦随、家内はモンペの紐を解いて、私のふくらはぎの上にまたがった。
「こら、早くしろ。今は一刻をあらそう時だぞ」
「だって、出ないんです。困ったなあ。ちょっと待って……ウーン」
小説は、年老いた「私」が、あのときの若かった妻の「ふくよかでつやつやした白い腿の色」を夢のように回想するシーンで幕を閉じる。この会話からにじみ出るユーモアと艶なる雰囲気。夫婦の会話の妙はこのほか「月桂樹」「赤い靴下」でも楽しむことができる。
主人公の行動の突飛さにも笑わずにはおれない。「去年今年」では、所用で出かけたついでに飲もうとして、タクシーを拾い三河島の火葬場に向かわせる。火葬場の前には、骨あげに来た人たちに酒を飲ませる茶屋があるからだ。この発想がたまらない。ところが三河島の火葬場はすでに閉鎖され、町屋に移転したという。そこでタクシーを町屋に向かわせたが、茶屋が見あたらない。訝って職員に訊ねると、東京の火葬場で茶屋があるのは堀之内だけと言われる。話はこれだけなのだが、乗車中乗っていたタクシーが追突され鞭打ち気味になるというおまけがついた。
火葬場の茶屋にはこだわりがあるようで、「赤い靴下」では、その堀之内火葬場(小説では「H」)の茶屋に飲みに行く話が登場する。ただこのときはあいにく三隣亡で茶屋は休業中だったというオチがついている。
久々に木山作品を読んだが、やっぱりこの人の作品は他に類を見ない独特の面白さで日本文学のなかに屹立していると思う。