都筑道夫・佐野洋読みくらべ

香水と手袋

先日読んだ都筑道夫さんの『退職刑事1』*1創元推理文庫、→7/9条)巻末にある法月綸太郎さんによる解説は、都筑さんの本格ミステリへの取り組みを概観し、そのなかに「退職刑事」シリーズを位置づけるという内容の力作で、読みごたえがあった。このなかで気になったのは、都筑さんの打ち出した「名探偵復活論」に端を発した佐野洋さんとの「名探偵論争」のくだりだった。
1977年から翌78年にかけて繰り広げられたこの論争は、ミステリに名探偵は必要か否かという問題について争われたようで、「両者の議論はすれちがいに終始し、論争自体に決着はつかなかった」という。法月さんは、議論がかみ合わなかった原因として、「名探偵の存在の是非よりも、推理小説という形式につきまとう「マンネリズム」をどのように受け止めるか、という視点のちがい」をあげている。
佐野さんは名探偵否定派で、その理由は「シリーズ探偵は形式を固定して、マンネリズムに陥りやすい」「形式への挑戦を捨ててしまったら、つまらない」という二点にあったという。これに対する都筑さんの反論は省略するが、昨年から佐野洋ミステリの愛読者となった私としては、作風を考えれば上の佐野さんの指摘はもっともだと感じつつ、それではこの機会に佐野作品も読んでみようと思い立った。
選んだのは連作短篇集『香水と手袋』*2(文春文庫)。カバー裏の内容紹介には若い女性が見事な活躍をみせる」とあって、「若い女性が探偵役となって謎解きする」というモチーフをつなげた連作だという読前感があったが、読んでみると、ある男性弁護士と、彼の事務所に調査員として勤務する彼の友人の妹(=若く理知的な女性)が11篇の短篇を通じて登場するシチュエーション・ミステリで、弁護士のもとに持ち込まれた問題や、彼らの周囲で起こった何気ない出来事を、主人公の調査員が持ち前の頭の回転の早さで解決するという内容だった。
たぶんこのシリーズは本作のみだろうから、「シリーズ探偵」にはあたらないだろうし、ましてや「名探偵」というほどの超人的な活躍をするわけでもない。いかにも佐野さんらしい、日常の何気ない謎に着目してスマートに仕上げた、軽快な作品だった。吉田健一ではないけれど、弁護士も、主人公の調査員も、弁護士事務所の同僚である既婚の女性事務員も、皆「生活している」という息吹があって、いいのだ。
本作はとくに論理的な謎解きを主体としているわけではなく、取り立てて傑作の評価があるわけではないと思われる。『退職刑事1』に感じた謎解きの爽快感を有する性質の物語ではないから、簡単に比較することはできない。法月さんの指摘した対立点、さらに視野を広げたミステリという側面からの比較とはまったくかけ離れてしまうけれど、あえて図式化すれば、両者は〈下町〉対〈山の手〉、〈江戸〉対〈モダン都市東京〉という構図になるのかもしれない。
「都会的」なる言葉の真の意味を理解しているわけではないが、お洒落で軽快な佐野作品を読んでいると、これこそを都会的というべきなのだろうという気はする。解説の平松志津枝さんは、佐野ミステリをこのように激賞する。

文章の簡潔さ、地についた現実描写、計算され尽くしたストーリー運び等々、佐野推理の魅力を充分、満喫できることは言うまでもない。
(…)暗い内容を描いても、サラリとした味に仕上げる品のよいセンス。何冊読んでも、ゲップの出ない文章を書く、確かな腕前。佐野さん御自身が持つ、本物の才能だ。
平松さんの褒め言葉に付け加えるべき言葉はない。胃もたれしない味わいは現代ミステリの世界では随一と言ってよい。ただし、佐野ミステリ好きだから都筑ミステリを排除するという考え方ではなく、〈下町〉風も〈山の手〉風いずれも大好きなのである。