かわいそうな渡辺保?

歌舞伎のことば

世の中には物事を箇条書きに整理しようとする思考回路の人がいる。問題点などがすっきりと箇条書きに整理され説明されると、話を聞いているほうも理解しやすいし、自分にはこうした能力が欠けているから、「明晰だなあ」と羨ましく、ほれぼれしてしまう。
ただこういう人たちは、いったん箇条書きに整理する癖がついてしまうと、何でもかんでも箇条書きにして説明しないと気がすまなくなるようで、「私の言いたいことは三点あって、まず第一に…」などと始まると、「また始まったな」とついニヤリとしてしまうし、三点あるはずの説明が二点で終わってしまい、本人がそれに気づいていないときなど、心の中では手を叩かんばかりに大笑いしているのである。まあそれでも論理がめちゃくちゃで理解不能よりはましか。
文筆家でそうした癖のある人を探せば、たちどころに思い浮かぶのが渡辺保さん。その渡辺さんの新著『歌舞伎のことば』*1(大修館書店)を読むと、いたるところにこうした箇条書きが目について、やはり頬がゆるんでしまった。ただ渡辺さんの場合まさしく論理明快ゆえに、読んでいて気持ちがいいし、説得力に富むのであった。
さて本書は、タイトルにあるごとく、歌舞伎にまつわる「ことば」を取り上げ、その意味を解することを手始めに、それらの言葉が歌舞伎の世界でどのように使われ、歌舞伎の美意識や世界観を構築しているのかを説いた刺激的な本だった。
取り上げられている言葉は、たとえば、「立役」「女形」「型」「見得」といった役者の身体にかかわるもの、「鶉」「花道」「合引」といった道具立て(空間構成)にかかわるもの、「一番目」「中幕」のように演目立てにかかわるもの、「仁」「性根」「肚」のような根本的な思想にかかわるものまで様々である。これらの言葉と歌舞伎の関係が明快に説明されている。
叙述のさい引用されるのは、江戸時代の役者の芸談だったり、明治の名優九代目團十郎・五代目菊五郎、大正昭和の名優六代目菊五郎・初代吉右衛門芸談はもちろん、私もこの目で実見した記憶も新しい、つい最近所演された演目まで、きわめて具体性に富む。
たとえば「女形」の一章。間近に見れば異様な老女形が、「ひとたび舞台へ立つと、つゆのたれるような美しさの、愛嬌たっぷりな、いい女になる」という驚きが述べられるいっぽうで、かつてまだ若かりしころの七代目梅幸・六代目歌右衛門「こういう化け物じみた女形の前では、なんとなくナマな感じがして違和感があった」と述懐される。いまでは前者は雀右衛門芝翫鴈治郎らをあげることができようし、言われてみると当代福助菊之助はたしかに美しさが生々しい。
そのうえで渡辺さんはこうまとめる。

老人が美しい女になる。それを錯覚、幻想といってしまえばむろんその通り。しかしこの世に幻想でない芸術は存在しないのであり、幻想のなかにこそ真実があるともいえるのではないだろうか。
女形もまたその幻想のなかに生きているのであり、現実の女とは違う一つの宇宙をつくっているのである。(15頁)
本書には、このようなたんなる歌舞伎論をつきぬけた普遍的な演劇論、芸術論に達する指摘もちりばめられ、これまた唸らされるのである。そのために能や狂言文楽といった日本の古典芸能はおろか、西洋のギリシャ悲劇やシェークスピア、バレエなども華々しく引きあいに出され、読んでいてまったく飽きない。
取り上げられている言葉も、小道具の「合引」ならともかく、舞台装置としての「白緑」や「走り込み」など、物はいつも見知っていながら歌舞伎のなかでいかなる役割を果たしているのかまったく意識していなかった大道具にそれぞれ深い意味が隠されていたことを知り、まったく驚いた。歌舞伎独特の言葉を平易に解説すると見えて、実はかなり奥が深い書物である。
ところで山本夏彦さんに「かわいそうな戸板康二という名エッセイがある(文春文庫『「社交界」たいがい』*2所収、旧読前読後2003/10/5参照)。芝居の台詞が常識として庶民の日常会話のなかに登場しなくなった現代、それらを一から説明しなければならない世の中に劇評家として生きざるを得なかった戸板さんは「かわいそう」なのだ。
さらにそうした状況が進展した21世紀に生きる渡辺保さんも「かわいそう」なのだろうか。もはや渡辺さんは「わかる人がわかればよい」という境地に達しているようにも思えるし、いっぽうで歌舞伎を普遍的芸術論のなかに位置づけるべく懸命の努力をされていることもうかがえる。
たとえば、歌舞伎の舞台に複数登場する役者の「位取り」(格)は素人にわかるのか。
もっとも、どうすればその位取りがおさえられるかは、口でいうほど簡単ではない。しかし客席で見ていると、一目でパッとわかるのである。体ににじむ位取り。おのずからあらわれる位取り。よく注意していればだれにでも見える。問題は気をつけて見るか見ないかである。(207頁)
せっかく高いお金を払って歌舞伎を観に来ているのだから、観る方もしっかり勉強せいと言われているようで、襟を正さねばと思った。