死者を追憶するということ

遺された画集

いつから平凡社ライブラリーにハードカバーができたのだろう。書籍部に並んでいた、野見山暁治さんの新刊『遺された画集―戦没画学生を訪ねる旅』*1平凡社ライブラリー)を何の気なしに手に取ったところ、思いがけず角背のハードカバーであることに意表をつかれ、十数分後には買ってしまっていた。
もちろん内容が面白そうで、口絵に収録された作品図版に惹かれたということもある。平凡社ライブラリーではあるものの、「offシリーズ」という名称がそこに付け加わっている。どういう意図が込められているのだろう。
それはさておき、本書は、野見山さんが東京美術学校(現東京芸術大学)で学窓をともにした同級生・先輩・後輩のうち、兵隊にとられ戦死(もしくは戦病死)した仲間の遺族を訪ね、その思い出を聞き取ったり、自らの思い出を書きとめた紀行・ポルトレのエッセイ集である。32人の戦没画学生が取り上げられているが、没年は高くてもせいぜい三十一、二歳と私よりずっと若い。
「プロローグ」によれば、野見山さんは昭和13年(1938)に美校に入学し、自身も「卒業すると同時に、満州牡丹江省に一兵卒として」おもむいたという。しかしながらほどなく肋膜に水がたまり陸軍病院に送られたとのことで、かろうじて死をまぬがれた。
本書で野見山さんによって生の一齣が掘り起こされた画学生たちと野見山さんの運命は紙一重である。運命のいたずらで立場が逆転していたかもしれないのである。

戦争は殺す人間を選んだわけではなかった。特定の者への憎しみがあるわけでもない。偶然近よってきた者をただ消してしまったにすぎない。それらの人々の死の代償によって私たちは生きているのか。私が今まで訪ねて廻った、また今から訪ねてゆこうとする戦死者たちがもし生きていたとしても、私の現在の生活に変わりはないような気がする。(145頁)
訪ねた遺族のなかには、戦死者の思い出をいまでも鮮明に記憶にとどめ、懐かしそうにふりかえる人もいれば、生きていれば野見山さんとほぼ同年代ということで、戦死者の面影を野見山さんに重ね涙ぐむ人もいる。
そのいっぽうで血縁の者がすべて亡くなったり離散してしまい、直接血縁のない養子や兄弟の嫁といった立場の人が、戦没画学生の作品を守っている場合もある。戦死した学生たちがこの世に遺した形見である作品は、もはやこうなるともてあまされ、あげくのはてに処分されてしまう。
一人のポルトレを読んでは口絵に立ちかえり、その人の作品の図版を眺める。みな美校生だからひとつひとつの作品に個性があって、中には、これは、と思わせるような素敵な絵も混じっている。
運命に抗うことなく戦場に散った画学生の痕跡を一つずつ知ってゆくにつけ、それを掘り起こすべく日本の北から南まで淡々と遺族を訪ねる旅を続けた野見山さんを突き動かしたものは何なのか、心は重くならざるをえない。
ちなみに本書で紹介された作品の大半は、信濃デッサン館館主窪島誠一郎さんが野見山さんと図って設立した、長野県上田市にある「無言館」という戦没画学生慰霊美術館に収蔵されているそうだ。
死はその人間にとって全世界がとざされることかも知れないが、その死がもたらす不幸は、愛情をもった周辺の人々にいつまでものしかかって離れないもののようだ。(29頁)
BOOKISH』次号第8号は「画家が書いたエッセー」特集だという。野見山暁治はその代表的人物の一人として語られるに違いない。楽しみにしよう。