町の古本屋賛歌

古本屋五十年

青木正美さんの文庫新刊『古本屋五十年』*1ちくま文庫)を読み終えた。新刊として購ったものの、すぐ読むつもりがあるわけではなかった。ところがたまたま積ん読の山の一番上に重ねていたらカバーイラストが目に飛び込んできて、そのまま惹き込まれてしまったのだった。
イラストには青木さんのお店である堀切の青木書店のファサードが描かれている。絵柄は電灯がついているからすでに日が落ちた頃合いとおぼしき時間帯、店頭ワゴンの前にたたずみ、ワゴンの本を手にとって読む母と娘二人。軒には知の象徴フクロウが本を読んでいるオブジェが飾られている(書影参照)。ときどき自転車で買い物にいくあの青木書店の雰囲気が見事にとらえられており、気づくといつの間にか手にとって中味を読み始めていた自分がいた。イラストは青木夕花さんという方が描いており、あるいは著者と血縁関係のある方なのだろうか。
本書は自費出版で上梓された『東京下町古本屋三十年』(1982年)が原型で、1992年に増補再編集のうえ『古本屋四十年』として福武文庫に入り*2、そこに一章分(「第八章 この十年」)加筆され、今回『古本屋五十年』と改題されたものである。読んでいる途中で、自分はすでに福武文庫版を持っていたことに気づいた。どこかの古本屋で入手したと記憶しているが、未読ゆえに関連をまったく意識していなかった。
著者は昭和28年(1953)堀切に古本屋を開業した。父が営んでいた自転車屋のうちの間口一間分を借り受け、「一間堂」という名前でスタートしたのである。その当時の店構えの写真も掲載されている(15頁)。

忘れもしない、初めてのお客様は女の子を連れた若いおかみさんで、三冊で百二十円の買物をしてくれた。(15頁)
と最初の客を回想しているが、もちろん開店当初はいまの店とは場所も店構えも違うけれども、あるいは表紙イラストはこのときの情景をアレンジしたものなのかもしれない。
本書は古本屋を初めて一人前になってゆくまでのサクセス・ストーリー(と書くと著者は「サクセス」などとんでもないと言うかもしれないが)であるとともに、青春の回想でもあり、昭和30年代における東京郊外の生活誌にもなっていてまことに面白い。「一間堂」から出発して、家族を食べさせる程度の稼ぎを得るようになり、勉強を重ねるいっぽう同業者との交流を通じ「中央進出」して組合の経営役員になるという過程が、ライバルとの葛藤や淡い恋物語を織りまぜながら叙述される序盤は、そのままテレビドラマになりそうだ。
掲示板で知ったことだが、現在青木書店をロケ現場(舞台)にしてドラマの撮影が行なわれているのだという。局はNHKとのことなのだが、果たして古本屋を舞台にどんなドラマができあがるのか、いまから楽しみでならない。
いま「中央進出」と述べたが、青木さんには中央すなわち神保町に対する抜きがたい劣等感(よく言えば対抗意識)があるようだ。本書を読むと、ことあるごとに下町の古本屋としての身の置き所が意識されている。
たとえば第七章では、下町の古本屋が中央の古書組合の役員を務めるということが「異例中の異例」として書きとめられている。というのも、これはたんなる自慢ではなく別の意味もあるからで、それは、跡継ぎにも恵まれ番頭さんもいるから組合の仕事に時間を割くことができる中央(神田・本郷)の古本屋に比べ、「悲しいかな夫婦二人だけの営業がほとんどの下町古本屋の実態だから、組合への奉仕の時間が多ければ多いほど、店をさびれさせてしまう場合が多い」からなのだそうだ。
青木さんは堀切に古本屋を構えた直後、下町で開業する先輩の古本屋から、「下町で商売しているということに決して劣等感を持つな」という訓示を得たという。しかしながら現実にはそうはいかなかった。戦後という言葉がまだ通用していた昭和30年代は、いまだ神保町のある東京の中心部と、青木書店のある東京の「郊外」(戦災で焼け出された「下町」の人々が新しく家を構えたためここも下町と呼ばれるようになる。同じ葛飾区の柴又がいい例だろう)とでは、町のカラーも明白な違いがあり、古本市場はそれを如実に示すものだったという。
すでに山の手では、神田を中心とした古本市場が一流の同業を集め、その組織運営は秩序と統制の行き届いたものだった。当然扱われる本もみな一流品ばかりである。下町の古本市場は、それにくらべると中座と客の間に洒脱な冗談と辛辣な皮肉の言葉が行き交う、下町特有の雰囲気の中で行われていた。本も、大衆小説本、講談本、わずかに『将棋の指し方』等のハウツー物が混じるくらいで、取引きされるものはみな娯楽物中心。と言うより、もしろ下町は本より雑誌が扱い品の中心だった。(288頁)
居住する階層も異なるから、古本屋に客が何を求めるかも当然異なる。むろんいまでは山の手・下町・郊外という差異も当時ほどではなくなり平準化しているだろう。とはいえこうした神保町の古本屋を頂点とした“ピラミッド構造”的な古本屋の秩序はさほど変っていないのかもしれない。古本屋にとって神保町に店を構えるというのはいまだに夢であるらしいし、古本を求めるわたしたちにとっても、神保町に足を踏み入れるときのあの高揚感は格別なものがある。
青木さんは当初からこうしたハンデがあったにもかかわらず、一貫して島崎藤村を崇拝し、彼を中心とした近代文学者の自筆物(草稿・書簡類)を蒐集することで独自のカラーを出してゆく。
いまや青木書店は堀切といういわば東京のはずれの場所にありながら、神保町の店に勝るとも劣らない素晴らしい古書店となっているのである。本離れやブックオフといった新たな形態の新古書店の誕生といった災厄が押しよせるなか、青木さんと息子さんのここ十年の苦闘が第八章として追加され、ここではインターネット通販開始などの出来事が述べられている。
私は98年に東京に越してきて、翌99年青木書店を初めて訪れた。同じ町にあるラーメン屋(二郎)目当てに堀切菖蒲園駅で降りたところ、偶然青木書店を発見して驚喜したのだった。言っては悪いが「こんな町にこんないい古本屋が…」という驚きは今でも憶えている。古本好きにとって青木書店はつとに知られる有名店であったが、私は場所を意識しておらず、見つけたのはまさに偶然だった。
南砂のたなべ書店もやはり町歩きの途次偶然発見したお店であり、東京に住んでいるとときどきこんな刺激を受ける。こうした青木書店のような古本屋がまだまだいろんな町にあるかもしれないという幻想は、いま東京で生活するモチベーションとなっている。