散文主義万歳

残光のなかで

山田稔さんの文庫新刊『残光のなかで―山田稔作品選』*1講談社文芸文庫)を読み終えた。最近のにわかファンなので大きな顔をして言えないけれど、このように文庫本で山田さんの作品を読むことができるのは喜ばしい。
さて本書は山田作品の短篇アンソロジーである。四冊の短篇集から八篇の短篇が選りぬかれ収められている。自選かどうかは不明だ。『幸福へのパスポート』から「残光のなかで」「オンフルールにて」、『コーマルタン界隈』から「メルシー」「シネマ支配人」、『再会 女ともだち』から「岬の輝き」「糺の森」「女ともだち」、『リサ伯母さん』から「リサ伯母さん」以上八篇。このうち『コーマルタン界隈』『リサ伯母さん』は既読だから、八篇中五篇が未読なのだが、既読の作品を含め、文章を読む愉しさをもたらす味わい深い散文にうっとりしどおしだった。
既読なのに内容をすっかり忘れてしまっていた『コーマルタン界隈』所収の二篇が何とも言えずいい。また後半四篇もそれぞれ惹き込まれる。これまで私は山田さんの作品には人生に対する諦念のような静けさが流れていると感じ、その点に魅せられていたのだが、今回読んでみて、作品すべてに通底するユーモア感覚にしびれてしまった。
パリ滞在中、バゲットを買っても「メルシー」すら言わない無愛想なパン屋の女店員にどうにかして「メルシー」を言わせようと策を練り、フランス人の教え子から「フウ」(気狂い)と呆れられてしまった主人公の苦闘と挫折をユーモラスに描いた「メルシー」
若い頃の甘酸っぱい恋愛体験を追憶しつつ、急逝した昔好きだった女性の幻影に追い回されるという一見真面目な小説風でありながら、幻影から喘ぎながら逃げ続ける主人公の口をついて出る「アイ、ラブ、ユー」のリフレインが印象的な「女ともだち」
痴呆なのか過去の美しい思い出の追憶なのか、読者の立場では曖昧なまま宙づりされ見分けがつかない老主人公の振る舞いが、深刻な問題に滑稽さを際だたせる「リサ伯母さん」
カバー裏の内容紹介には「ユーモアとペーソスの滲む澄明な文体で、ひそやかで端正な世界を創り出した」とある。たしかにそうかもしれないが、ユーモアがペーソスと合わさるとユーモアの濃さが薄められかねない。山田作品の魅力はペーソスという味付けを断固こばむユーモアこそが魅力なのではないかと、本書を読んで思った。
本書には川西政明氏による解説に加え、「著者から読者へ」の一文と著者自身の作成にかかる20頁にわたる詳細な年譜(著作年譜も兼ねる)が付されており得した気分になる。「著者から読者へ」には、過去をかえりみて著者の気構えがこのように示されている。

書きはじめると、文体はおのずと決まった。本当に他者に伝えたいことがあるときは小説かエッセイかの区別、技巧を弄した表現や飾りなどは必要でない。簡素で適確な文章さえあれば十分なのだ。
(…)
その後も私の「散文主義」の方針は変らなかった。小説とエッセイを分ける目に見えぬ境界線上を、ときに右に、左にぶれながらも、「文章」を道しるべとしてここまで歩いて来た。
堀江敏幸さんへと受け継がれる「散文主義」の呼吸。読む立場にとってみても、小説でもエッセイでもどちらでもいい。「簡素で適確な文章」が読めればそれだけで満ち足りた気分になるのだから。