高度成長前夜の時代精神

昭和が明るかった頃

いわゆる「黄金時代」と呼ばれた昭和30年代頃の日本映画を好んで観るようになってしばらく経つが、見方としては、原作本位からはじまり、俳優や監督への興味へとスライドしつつ、関心が広がっていった。とはいえまだまだ知らないことが多く、真綿に水が浸みるように知識が蓄積していくことを自覚する瞬間にもっとも興奮をおぼえる。
映画に関する本も少しずつ読みかじっている。けれども監督で言えば小津安二郎、俳優で言えば田中絹代高峰秀子といったところで、映画会社だとどうしても松竹中心ということにならざるをえない。
もちろん五社(六社)協定の話や、監督・俳優の移籍の話などで他の映画会社、たとえば東宝大映・新東宝にも言及があるわけで、それぞれの会社の特色や、「黄金時代」に果たした役割などにも少しずつ関心が増していったのである。
関川夏央さんの『昭和が明るかった頃』*1文藝春秋)は、黄金期の日活の屋台骨を支えた俳優、吉永小百合石原裕次郎の二人を中心に、日活という映画会社の盛衰をオリンピック直前のいわば「高度成長期前夜」の日本の時代精神の鏡として映しだした知的刺激に満ちた本であった。
正直言って私は日活といえば「にっかつ」というひらがな表記に馴染みがあり、「ロマンポルノ」の映画会社というイメージしか持っていなかった*2吉永小百合石原裕次郎という昭和を代表する二人の俳優がその看板スターであったことは、今回初めて知識として刻みつけられたと言ってよい。
各社から若い人材を集め1954年に映画製作を再開した当初、日活は「体制内反道徳」(70頁)の匂いをただよわせた文芸路線を主流としたが、56年に「太陽の季節」でデビューした石原裕次郎を全面に押し立て、彼と小林旭赤木圭一郎宍戸錠らを主役に起用したアクション映画を週単位で封切る。60年を過ぎてこのアクション路線に翳りが見えはじめると、吉永小百合浜田光夫を中心とした「純愛路線」が採られたという。
本書では吉永小百合の物語と石原裕次郎の物語を並行的に描き、そこに絡んだ日活の同僚俳優たち(芦川いづみ浅丘ルリ子小林旭赤木圭一郎宍戸錠高橋英樹和田浩治長門裕之二谷英明)や、彼ら彼女らの撮った映画監督たち(浦山桐郎・西河克巳・山田洋次今村昌平川島雄三中平康鈴木清順蔵原惟繕熊井啓)を群像として描きながら、日活映画が戦後日本に与えた影響を詳細に明らかにする。この手法はどうしても『「坊っちゃん」の時代』を想起させずにはおかない。
分析のさいの視点として際だった点を石原裕次郎吉永小百合の二人のそくして挙げれば、石原裕次郎の場合、彼ほど「軍人役の似合わない俳優はいなかった」点に特徴が見いだせるという指摘(第三章「日活的世界の構造」)には意表を突かれた。
それまでの映画俳優は誰でも何かしら兵隊の役がはまるといわれ、そこに日本人は自己嫌悪をともなういまいましさを感じていたのに対し、裕次郎の出現は敗戦国日本の自己嫌悪癖を吹き飛ばす力を持っていた。端的にいえば裕次郎の登場は日本の戦後の終焉を意味するわけである。
吉永小百合の場合。戦前から戦後にかけ、『伊豆の踊子』が映画化されたのは吉永主演で四度目とのことで、それぞれの時期に製作された映画「伊豆の踊子」の色調にそれぞれの時代相を読み解いたうえで、原作に立ち返り、その本質を「旅情」だと指摘したくだり(第七章「吉永小百合の「全盛期」」)は出色のものだった。「旅情」は関川さんが戦後日本の時代精神を読み解くキーワードのひとつである(→2/15条)。作者川端康成が映画化の挨拶に来た吉永小百合に惚れ込み、自らロケ現場に押しかけて吉永と話し込んだ、つまり「サユリスト」だったという本筋と無関係のエピソードが面白い。
個人的には、本書の論旨とはさらにかけ離れる、石原裕次郎吉永小百合が共演した「若い人」(62年)のワンシーンを紹介した次のエピソードが気になって仕方がない。

その夜、裕次郎が下宿の風呂に入っていると小百合とその母、三浦充子が訪ねてくる。あいにく下宿の小母さん(武智豊子)は外出中で、小父さん(殿山泰司)はミッキー・スピレーンの小説を音読しはじめるとまわりの音がまったく聞こえなくなるたちだから、裕次郎は仕方なくバスタオルを腰に巻いただけの姿で玄関へ出る。(236頁)
ミッキー・スピレーンの小説を音読する殿山泰司の姿。「音読」というふるまいが意味深で気になる。
ところでこの「若い人」は石坂洋次郎原作。吉永小百合石坂洋次郎原作の映画に多く主演したこともあり、戦後の民主主義復興期における石坂作品の位置づけに興味を持つ。石坂洋次郎の小説を読む日がぐぐっと近づいたかもしれない。
その他観たいと思った映画メモ。「憎いあンちくしょう」「陽のあたる坂道」レンタルビデオで借りることができるだろうか。
初めて知ったことメモ。吉永小百合の「全盛期」は62年から64年までのわずか2年余りで、早稲田大学に入学した頃はすでに人気凋落傾向にあったこと。
北原三枝芦川いづみ浅丘ルリ子といった日活を支えた女優陣に関する叙述にもそれぞれ興味を惹かれたが、彼女たちについては、いずれ出演映画を実際に観てから、あらためて本書をふりかえってみたいと思う。ただ、そのために不可欠な人名索引が付いていないのは残念の極み。
最後にひとつ。本書の叙述はすべて西暦でなされているにもかかわらず、タイトルは『昭和が明るかった頃』である。関川さんの時代観(歴史観)を考えさせられずにはおかないが、とくに説明が与えられているわけではないから、とうとうわからずじまいだった。

*1:ISBN:4163591702

*2:昼休みに時々行くラーメン屋の近くに現在にっかつの本社社屋がある。