丸谷才一から鹿島茂の「戦後型随筆雑学派」

セーラー服とエッフェル塔

鹿島茂さんの文庫新刊『セーラー服とエッフェル塔*1(文春文庫)を読み終えた。
本書の元版*2は2000年10月刊。買ってその直後に読んだはずで、そのさいこの「読前読後」に感想を書いたはずである。ただ、その時何に惹かれ、何を感じ、どう書いたかをすっかり忘れている。いつものようにそのときの記述をふりかえり、今回の所感と重ね合わせてあらためて感想を書くという方法も可能である。しかし今度はちょっとした冒険をしてみたい。元版時の感想をまったく見ず再読の感想を書いてみようという試み。
SMの縄の縛り方(亀甲縛)の由来、『ラ・フォンテーヌの寓話』の「アリとキリギリス」の話の挿絵で、キリギリスがセミになっている謎、ビデの使い方、嗅覚の寛容性の問題、戦争と強姦、フランスの城にトイレがない謎、ナポレオンの肖像画の特徴について、情死の謎、日本人のセーラー服好きについて、読み書き教育と黙読の発生の関係、フランス人は本当にグルメなのか、イギリス人と紅茶の関係などなど、卑近な疑問から説き起こして仮説を立て、関係文献を渉猟し自分なりの結論をみちびく。
冒頭の「SMと米俵」にて、何にでも仮説を立てて調べ上げ、因果関係を見極めないと気がすまないという性分が告白されており、別の場所では、本書で展開されている議論はあくまで仮説であって検証がなされていないので鵜呑みにせぬよう警告されている。
実際「フロイトと見立て」では、フロイトが無意識を説明するときに経済用語を使用していることから、フロイト株式投資をやっていた可能性を指摘しているが、これは裏付けがなされていないと断っている。謬説の可能性も残るのだ。
とはいえ「パリの焼き鳥横町」では、日本人の舌ではまったくお話にならない焼き鳥料理をグルメのはずのフランス人が行列までして食べている不思議さを検討し、「どの国民も判断がつくのは自国料理だけであり、外国の料理に関しては、絶対的な舌はない」という普遍的結論をみちびくものもあるなど、論証のレベルは様々になっている。この疑問・見立・仮説・検証といった思考過程を楽しむべきなのだろう。
文庫版解説は丸谷才一さんである。ナポレオン好き(と私は勝手に推測している)の丸谷さんのこと、ナポレオンの肖像画ではなぜ片手をシャツのボタンとボタンの間に差し込んでいるのかという疑問に飛びつくに違いないと思っていたら、果たしてこんな一節があった。

ナポレオンが肖像画でなぜ片手を上着の隙間に突つ込んでゐるかといふ議論の展開など、何の実用性もない考證がどうしてこんなにおもしろいのか、けげんに思ふくらゐである。(259頁)
丸谷さんも、元版刊行時に書いた新聞書評をまず全文引用したうえで、それに付け加えるかたちで戦後随筆界における鹿島さんの位置づけを考えている。私は本書や『背中の黒猫』*3『関係者以外立ち読み禁止』*4(ともに文藝春秋)といったエッセイ集は丸谷さんの衣鉢を継ぐものと考えているが、丸谷さんもこれを強く意識しているらしい。
丸谷さんは、戦前の随筆は「清閑を愛して無内容なことを書き綴つた」のに対し、戦後の随筆は「ずつしりと中味の詰まつた、そのくせしやれた行き方を狙ふ」と述べ、そういうものでないと見向きもされなくなったという。
その戦後型随筆の一流派に「雑学派」があり、自分もこれに属すると見られているらしいとしたうえで、この流派の方法についてこう述べる。
古今東西の奇妙な知識を並べ、話題の聖と俗を選ぶことなく、形而上学だらうと閨房術だらうと毛嫌ひせず、おほむね世の常識に逆らつて仮説を立て、あるいは想像を逞しうし、あるいは逆説を弄して、書巻の気にみちた文章を売る。読んでは書き、書いてはひさぐ。もちろんその合間合間にものを考へる。(258頁)
丸谷さんにしたがえば、この代表が鹿島さんということで、私はこんな「書巻の気」に満ちた雑学派が大好きなのである。
ところでこれら戦前型と戦後型の随筆筆者を物尽くし風に並べ立てて定義するあたり、丸谷さんでなくて誰ができるだろう。戦前型で挙げられているのは森田たま・木下杢太郎・内田百間寺田寅彦四人。
戦前の随筆が無内容であることについて、「戦前の随筆の主流がこの調子であつたことは、たとへば森田たまのものを読めばわかる」とし、杢太郎は「なかには、文体の見事さとくらべると中身がじつに貧しいものがいくつかある」と前二人は戦前型の典型とされ、あと二人は例外とされている*5。寅彦は「もちろん寺田寅彦の科学関係のものは違ふ」、百間は「無内容を名人藝にまで高めたもので、ああなるともう別格だらう」という評価である。
戦後型エッセイストの場合、箇条書きで行こう。

  • 伊藤整:『女性に関する十二章』は一皮むけば彼の評論とちつとも変らない
  • 山口瞳:『男性自身』は悲憤慷慨の書に都市的=私小説的な上質のユーモアをまぶしてある
  • 吉行淳之介吉行淳之介の艶笑随筆だつて行間にニヒリズムの詩情と人生の智恵がはつきりと見て取れる
  • 山本夏彦山本夏彦の八つ当たり的コラムとなるともつと直言の連続で、人間に対する認識、社会に対する反感が露骨に透けて見える

鹿島さんの本に戻れば、今回の再読でもっとも気になったのは、「黙読とポルノ」の一章。西洋においては黙読が宗教的異端と、十二世紀における宮廷風「恋愛」の発明、ポルノの発生をもたらしたとされている。これはわが国の場合どのように説明できるのか(あるいは説明できないのか)ということである。
音読から黙読への変化、公共空間における読書習慣の発生、ポルノの発生という三点を考えなければならないだろうが、興味深い問題である。

*1:ISBN:4167590034

*2:ISBN:4163566600

*3:ISBN:4163577009

*4:ISBN:4163595708

*5:別に無内容の戦前型随筆を貶めているわけではない。