憂国の日本語論

ゴシップ的日本語論

丸谷才一さんはスピーチや講演のさい、あらかじめ原稿を書き、基本的にそれを読み上げるかたちで行なうという。書いた原稿は捨てずにとっておくので、そこでそれに注目してスピーチばかりを集めた本が企画された。
丸谷さんほどの偉い人になれば、パーティに招かれて突然「乾杯のご発声とご挨拶を頂戴したい」などと突然の指名を受け、主催者との関係上むげに断れない場合もある。そんなとき丸谷さんは、「とつぜん指名されることがあると、二次会で酔つぱらつて帰つたあとでも、机に向つて、さつきしやべつたことを書くことに」(『挨拶はむづかしい』214頁)なった。逆転現象である。
そのおかげでわたしたちは、スピーチばかりを集めた本『挨拶はむづかしい』*1朝日文庫)と『挨拶はたいへんだ』*2朝日新聞社)二冊を得ている。
私はかつて丸谷さんの講演を一度だけ聴いたことがある。『日本国語大辞典』第二版刊行を記念したもので、講師は井上ひさしさんと丸谷さんという豪華組み合わせだった。お書きになるエッセイを彷彿とさせるような丸谷さんのよどみない話と、井上さんのときどき立ち止まりながら主題になかなか到達しない話というきわめて対照的な様子だったことだけ、鮮明に憶えている。
さて、丸谷さんの新著『ゴシップ的日本語論』*3文藝春秋)は、一次的に「語り」というかたちで発表された文章ばかりが収められている。比較的長めの講演二本に短めのもの四本、対談・座談三本という構成で、いずれもが大なり小なり日本語の問題に触れているという意味で、このうちの長めの一本の表題が書名に採られている。
長めの二本「日本語があぶない」「ゴシップ的日本語論」「力がこもつてゐて、まあ、わたしなりの憂国の論であります」と「あとがき」で述べられているように、渾身の日本語論となっている。
最初の「日本語があぶない」では、ここ百年の間に起こった明治維新と敗戦という二つの大きなきっかけにより蒙った日本語の大きな変化によって、日本語が危機に瀕していることを警告したもので、二度にわたり蒙った変化と、その結果としての現状、いま何をすべきかが簡潔に箇条書きにまとめられてわかりやすい。
戦後の変化の一つとして「チョンチョン括弧(〝〟)の多用」があげられ、「さういふヘンテコリンな、人の風上にも置けない言葉の使ひ方をする人が使ふもの」と指摘され、やたらとこの括弧を使いたがる私は肝を冷やした。たぶん今後私の文章からチョンチョン括弧は激減するだろう。単純だから。
提言のかなめは義務教育での日本語教育(読み書き教育)の徹底であるが、たんに日本語を教えるだけでは意味がない。「ゴシップ的日本語論」では、日本語を相対的に把握するための英語ないし外国語教育の増加も叫ばれている。これが丸谷さんの口から論じられるのだから説得力がある。
それにしても「ゴシップ的日本語論」のなかでの、昭和天皇に対する言語教育の不備により言語能力が著しく低かったため、コミュニケーション能力が欠如し、開戦・敗戦の一因になったという指摘は少なからずショッキングだった。
短めの講演のうちの二本、「折口学的日本文学史の成立」「泉鏡花の位置」は、それぞれ國學院大学での折口信夫博士五十年祭、『輝く日の宮』の泉鏡花賞授賞式での講演を起こしたもので、折口信夫泉鏡花の二人を丸谷さん独特の日本文学史の流れのなかに位置づける面白いもの。とりわけ前者のうちで、折口信夫「深入り」「熱中」「のぼせて」いた頃があったとして、こんな話が紹介されている。

たしかあれは日本橋辺の裏通りの本屋だつたと思ひますが、入口のところに「折口学入門」と墨で書いたビラを見つけたことがありました。夢中になつて飛び込んで行つて「『折口学入門』をくれ」と言つたんです。ところが「そんな本はうちに置いてません」と言ふんですね。ビラを指さして「ほら、ここにあるぢやないか」と言ひながら見たら、それは「哲学入門」だつた。一時は、そのくらゐのぼせてゐたんです。(120頁)
よくできた冗談である。実話でなく冗談に違いない。吉田健一の「本郷信楽町」以来疑い深くなっている。「日本橋辺の裏通りの本屋」なんて、一昔前にはあったに違いないのだが、そのリアリティをもたせようとする固有名詞が逆に虚構性を際だたせる。
冗談にしても、こうした冗談を講演に織り込ませられるのは、日本語を熟知する丸谷さんならではなのだと思う。