無名という尊さ

秀十郎夜話

先日観た成瀬巳喜男監督の映画「旅役者」は旅回りの一座の物語で、馬の前足と後足に入る下っ端役者の藤原鶏太と柳谷寛を中心とした、戦時中にしては(戦時中だからか)ほのぼのとした内容の映画だった。
一座の出し物は、三遊亭圓朝の人情噺を劇化した「塩原多助」で、馬が重要な役回りとして登場する。とある村の小屋で興行していたところ、傲岸な金主によって馬の首の縫いぐるみが壊されてしまう。芝居に欠かせぬものなのですぐに修理するようねじ込んだものの、できあがった馬の顔は元の姿とはおよそかけ離れた笑えるものになってしまっていた。馬で泣かせる芝居なのに、これでは芝居にならない。
すっかり臍を曲げた馬の足二人組は芝居には出ぬと駄々をこねる。窮した座長(高勢実乗)は二人を使うことを諦め、村で飼われていた本物の馬を代役に立てることにする。本物の馬に役を奪われて身の置きどころがなくなってしまった二人は……、というストーリーだった。
歌舞伎を観ていると、主役級の役者だけでなく、「その他大勢」の名もない役で出ている役者さんたちや、縫いぐるみに入った役者さんたちのことが気になってくる。さらに黒衣として芝居を支える立場にも興味を持つようになる。
そんな関心から千谷道雄さんの『秀十郎夜話―初代吉右衛門の黒衣』*1冨山房百科文庫)を積ん読本の山から掘り起こし、読み始めたところ、無性に面白くて惹き込まれた。
著者の千谷さんは東大卒業後戦後中村吉右衛門劇団に所属し演劇作者となった異色の方で、本書は中村秀十郎という初代吉右衛門の黒衣として重宝がられた下廻り役者の聞き書きをまとめたものである。中村秀十郎の経歴は以下のとおり。

秀十郎ははじめ市川新十郎の門弟になり、新十郎の没後に初代中村吉右衛門の門弟となった。市川新十郎は、明治の名優九代目市川団十郎の門弟で、脇役の名手として知られ、次代の名優六代目尾上菊五郎や初代中村吉右衛門の「お師匠番」としても有名であった。秀十郎はこの人に仕込まれたのである。(渡辺保さんによる解説)
本書は二部構成で、第一部は「秀十郎の芸談」として、「黒衣」「馬の足芸談」「とんぼ返りの話」三篇が収められている。三階役者として、黒衣や馬の足、また立ち回りのときの四天などを勤めたときの貴重な芸談が詰めこまれている。映画「旅役者」ではないが、馬の足を演じるときの苦労譚からは、それを演じる矜持のようなものが透けて見える。
吉右衛門の黒衣としての芸談で印象深いのは、「熊谷陣屋」で鎧兜を片づける話。
片づけるタイミングが悪く、師匠に叱られる毎日。途方にくれていたある日、鎧を片づけようとすると、吉右衛門の手が鎧の草摺を握って離さず、そのまま芝居を続けている。どうするのかと見ていると、ある場面に来てようやく師匠は手を離した。このタイミングは客の目が他の所に釘付けになっており、片づけてもさっぱり芝居の邪魔をしないということに気づいたというのである。こんなことを書かれると、今度からこのような片づけをする黒衣にばかり注目してしまいそうな気がする。
秀十郎の最初の師匠市川新十郎は、上記のとおり脇役として貴重な存在で、そのかたわら江戸以来伝わってきた隈取を資料として集成するという仕事をライフワークとしていた。隈取の名人でもあり、名優たちの隈を取ることも再三だったという。
隈取のための紅を練るときには穢れに触れてはならないというタブーがあって、女性を寄せつけなかったらしい。ある日秀十郎が師匠の命で紅を買いに使わされた帰り道、尿意をもよおし公衆便所で用を足してから帰ったところ、買ってきた紅の色合いがどうもうまく出ない。怪訝に思った師匠が秀十郎を問いただして理由が判明するという話も超自然的で面白い。
第二部は「秀十郎の生涯」と題して、千谷さんが秀十郎から聞いた彼の生い立ちから役者になり現在にいたるまでの挿話が編み直されている。実は第一部よりこちらのほうが面白かった。
というのも、秀十郎が生まれた神田多町の蜜柑問屋という大きな商家の明治から大正を経て昭和に至る消長と、こうした人びとと役者(団菊)との関わり方(パトロネーゼのあり方)、また下っ端役者たちの非人道的な扱われ方などが克明に書きとどめられているからだ。解説の渡辺保さんは、「この本によって歌舞伎がその秘境を白日のもとにさらした」と大きく評価している。
本書は関東大震災文献でもある。大正12年9月1日、秀十郎は下谷二長町の市村座で九月興行の総浚え中だった。被災の様子、翌日以後親族を探しながら見聞した被災地の悲惨な状況、壊滅的打撃を受けた東京の芝居小屋の復興の様子などを知る、これまた貴重な文献だろう。
本書は読売文学賞を受賞した。その後著者の千谷さんばかりか、秀十郎もマスコミの注目を集め、師吉右衛門の思い出や芸談を取材される機会が激増したという。しかし、得々と思い出を語る秀十郎を見ながら、千谷さんは深く考えざるをえない。
彼がいかに愚直な、世故に疎い、平凡人であるという裏付けがないと、彼の言葉だけが、さもさも名人芸のように語られた場合、意外なほどに共感が薄れて、話の色が褪せてしまうのである。無名俳優は無名なるがゆえに尊いのであって、無名でなくなった時、その価値も消えるのだ。こうして、私は自分の手で光の下に掘り出したものを、もう一度土の中へ埋めてしまいたいような気持ちを持った。(327頁)
現実の「無名俳優」にとっては、「自分たちの気持ちも知らないで何言ってんだい」という発言だろうが、「無名俳優は無名なるがゆえに尊いのであって、無名でなくなった時、その価値も消える」というのは名言だなあと、頭の中で何度も復唱しながら、歌舞伎を観るときの「無名俳優」へのまなざしを疎かにしてはいけないと心に誓ったのである。