編集者への鎮魂歌

文壇挽歌物語

大村彦次郎さんの“文壇三部作”の最後の巻『文壇挽歌物語』*1筑摩書房)を読み終えた。
昨年12月に仙台のブックオフで前の二冊『文壇うたかた物語』『文壇栄華物語』(感想はそれぞれ12/12条12/31条参照)を幸いにも入手し、その月のうちに読み終えていた。だから残った本書もそれ以来ずっと気にかかってはいたのだけれど、二冊をあまりにもあっさりとブックオフで入手できたためか、いずれ古本屋で出会えるのではという理由のない希望的観測をもってしまい、積極的に手に入れようという気持ちになっていなかった。
一割引で購入できる生協書籍部に注文するのも面倒だし、大書店にわざわざ探しにゆくのも億劫だし、ということで、いつしか忘れかけてしまっていたのである。
先日東京堂書店の「ふくろう店」を訪れ、その目玉“坪内祐三コーナー”を眺めていたら本書を発見した。坪内さんが本書をセレクトして(他の大村さんの著作もあった)棚に並べているという嬉しさと、忘れかけていた本の実物を見ることができた喜びが、購入意欲を後押しした。ここで買わないと次に出会うのはいつになるかわからない、こういうときに買うべきだと決断したのである。
さて、内容的には前著『栄華物語』をそのまま引き継ぐもので、和田芳恵が『一葉の日記』で芸術院賞を受賞した場面が第一章のはじめに配されている。結末はその和田が自らの新潮社での編集者生活を回顧した「ひとつの文壇史」を執筆することで終わっている。年代でいうと昭和31年から同41年まで。前著では文藝春秋永井龍男、新潮社の和田芳恵というのちに自らも小説家となった二人を主軸にしていたが、本書ではこのうち永井は後景に退き、和田の芸術院賞受賞、直木賞受賞、回顧執筆という出来事が時間の流れを示す指標となっている。
その和田が「ひとつの文壇史」を執筆しているときの心象風景は次のごとくである。

あれから四半世紀が経過し、和田はいま「ひとつの文壇史」を書いている間も、編集者稼業というものがいかに泡沫のごとく、はかないものであるか、ということを覚らずにはいられなかった。この連載のために雑誌編集者のその後の足どりを辿ろうとしても、彼らの消息はすぐに途絶え、生死さえ掴めない者もあった。(477頁)
和田芳恵の姿に、大村さんの姿が二重映しになっているかのようである。泡沫のごとく、はかない編集者稼業の足どりを、悲喜こもごもの作家の心象風景に分け入ることで活字に定着させる、これが“三部作”の意図なのではあるまいか。
繰り返すが、まるで和田の姿を直接見ていたかのような、心象風景に分け入る手法が本書の特徴である。本書で取り上げられる数十人(あるいは百人を超えるか)の作家たち一人一人がこのように丁寧にスケッチされる。そのスケッチのもとになる取材力に脱帽である。
本書のトピックを私の関心にそくして摘記すれば、深沢七郎の「風流夢譚」事件、松本清張「点と線」の執筆、戸板康二直木賞受賞、水上勉の「雁の寺」執筆と直木賞受賞、山口瞳の「江分利満氏の優雅な生活」の執筆と直木賞受賞、久保田万太郎の急死、安藤鶴夫直木賞受賞などなど。
先日『男性自身 英雄の死』を読んで気になっていた梶山季之直木賞落選時に「長老選考委員」が口にした暴言について何か書かれていないかと期待していたのだが、有力候補だった梶山・瀬戸内が落選し「誰もが予想しなかった番狂わせ」佐藤得二に栄冠がもたらされた経緯が記されるのみで、期待は叶わなかった。
印象に残るのは、大岡昇平が仕掛けた論争。大岡は大衆文学や中間小説の文壇主流への進出ぶりと、これを許容しようとする文壇内部の論調にいらだち、ジャーナリズムでもてはやされている作家を俎上にのせてたたき切ろうとした。その犠牲になったのが、最初は井上靖、次いで海音寺潮五郎だった。いずれの論争も、大村さんによる文章を読むかぎりでは大岡の敗北に終わる。闘士としての大岡昇平の姿が何よりも強烈だった。