貫禄がもたらすもの

家庭の事情

泉麻人さんを知ったのは、本名朝井泉で出演されていた「テレビ探偵団」だろうと思われる。調べてみると同番組は1986年から92年までTBS系で放送されていた。たしか日曜夜8時、NHK大河ドラマの裏番組ではなかったか*1。その頃は熱心な大河ドラマ・ファンだったから(ちょうど「テレビ探偵団」が始まった年は「独眼竜政宗」で、私が仙台でひとり暮らしを始めた年だ)、「テレビ探偵団」を見る機会は稀であったけれども、昔のテレビ番組にマニアックなほど詳しい人、オタク評論家の走りといった印象だった。
東京に移り住んで、東京暮らしの先輩からテレビ東京系の情報番組「出没!アド街ック天国」の存在を教えてもらった。田舎育ちのにわか東京人にして東京好きにはこたえられない番組であるが、私が見始めたとき、司会の隣にすわるコメンテイターはすでに山田五郎さんだった。先輩から借りた昔の回のビデオを見て、かつては泉麻人さんがその立場であったことを知ったのである。
先般「アド街ック天国」の春の特番「東京散歩をしたい街」を見ていたら、山田五郎さんの隣に泉麻人さんが特別ゲストとしてすわっていた。かつては軽妙に現代風俗を語り昔のテレビ番組を語る人という印象だった泉さんが、髭をたくわえて悠然とかまえ、コメントする姿も貫禄に満ち、すっかりその道(何の道だ?)の第一人者としての風格を感じさせる雰囲気になっている。東京に来てから泉さんの著作に親しむようになった私としては、とくに驚くべき事柄ではないのだが、やはり「テレビ探偵団」の頃を知っているとある種の感慨を禁じえない。
泉麻人さんの文庫新刊エッセイ集『家庭の事情』*2光文社文庫)は、泉さんのもとよりの特徴である軽妙な語り口と鋭い現代風俗の観察眼に加え、上に述べたような泉さんの変化もうかがわせ、興味深い本だった。
内容はタイトルにあるように、日常生活で起きたこと、見知ったことなどを綴るいわば“身辺雑記”なのだが(1995〜99年に書かれた)、かつて流行した言い回しなどを故意に用いる(無意識ではないだろうと思う)文章に接したりすると、懐かしいいっぽうで、泉さんのある種“鋭い言語感覚”を感じさせられるのである。
本書のなかで、飼っている犬の話が出てくる。このペットの話のほか、お嬢さんの学校の話など、これまで発表したエッセイでは一切触れたことがなかった話題をこのなかで初めて書いたというのが本書の特徴だろうか。
あとがきのなかで泉さんは、

この種の家庭的な題材をテーマに選ぶと、読者の方に「ニューファミリーな、いいパパ」の姿を想像されがちなものでして、いかにそういったナヨっとした臭味を消して、毒をピリっと効かすか――ということを常に心掛けて筆を執りました。
と語っている。売り出し中の頃にこうしたテーマのエッセイを書いてしまうと、「ニューファミリー」的エッセイストというレッテルを貼られてしまう。最初のうちはそんな話題を慎重に避けながら、自分の立場が固まってきたところでようやく家庭周辺の話題を持ち出してくる。しかも「臭味を消して、毒をピリっと効か」せる術を心得ているので、これらの文章から「ニューファミリー」的エッセイストへと短絡する回路は完全に断ち切られている。
「家庭の事情」との間に見事に距離を保てるような余裕が備わったからこそ書かれた本なのだろう。余裕とはすなわち、先の言葉でいえば「貫禄」である。

*1:これを書いたあと、日曜夜7時30分から8時までだったというご指摘をいただきました。上記記述を訂正いたします。

*2:ISBN:4334736645