梶山季之と山口瞳

男性自身・英雄の死

『男性自身 英雄の死』*1新潮文庫)の帯、カバー裏の紹介文いずれにも梶山季之のことが書かれてある。柳原良平さんによる表紙イラストもおそらく(という言い方は失礼か)梶山の肖像だ。だから本書のタイトル「英雄の死」の「英雄」とはてっきり梶山のことだとばかり思っていたのだけれど、タイトルナンバー「英雄の死」を読んでまったく別の人物を指すことを知った。山口さんの小学校以来の友人でプロ野球の投手だった黒尾重明のことだったのである。ちなみに私は黒尾という選手は聞いたことがない。その時分はある程度知られた選手だったのだろうか。
とはいっても、この「英雄」の言葉には梶山季之も重ね合わされていると考えてよいのかもしれない。本書の柱は1975年5月11日に亡くなった梶山季之の思い出であるが、亡くなる前の梶山に触れた文章も本書に収録されているからだ(「超能力」)。
さて梶山の香港での客死に対して山口さんが書いた文章は本書に以下の8篇が収録されている。順に「梶山季之の経緯」「酒について」「メキシコの梶山季之」「五月場所十三日目」「梶山季之の年齢」「遠くなってゆく」「ある町のホテルで」「人生観の問題」である。これらは単行本から漏れなく文庫版に収録されている。
最初の「梶山季之の経緯」は、中野朗さんの『変奇館の主人―山口瞳評伝・書誌』*2(響文社)によると「男性自身」連載ではなく、新潮社のPR誌『波』に書かれた。追悼文として依頼されたものだろうか。しかしながら山口さんの独壇場である追悼文を読みなれた立場からすれば、一種異様な「追悼文」だ。
梶山季之はマスコミに殺された。ほかならぬ彼自身がつくったところの週刊誌時代によって殺された。梶山は酒で殺された。梶山は女に殺された」という畳みかけるような表現はあるものの、慟哭が表出せず、醒めた筆致で淡々と梶山との思い出が語られてゆく。そして最後に、

いま、五月十四日、午後六時。梶山季之の遺体を乗せた、香港からのJAL62便は、積乱雲の遙か上空を、こちらに向かって飛んでいるはずである。(179頁)
という一文でしずかに締めくくられる。この抑えた筆の調子こそが、逆に山口さんの悲しみの深さを物語っているように思う。
死去から三日後に書かれたこの文章が梶山追悼の第一号であり、訃報を知ったときの状況、気持ちなどは一切触れられていない。肝心の部分が空白なのだ。だから文庫版で「梶山季之の経緯」を読むと唐突な印象をもつ。直後山口さんは持病の糖尿病が悪化し一時入院を強いられたほどの衝撃を受けたことを考えると、その前後の悲しみは筆舌に尽くしがたく、ポーンと抜けているのだろうか。
中野さんの本を調べたついでに、このほか梶山の死について書かれた文章がないものか、死の前後に書かれたとおぼしき文章をあたってみると、はたして存在した。
この時期『小説現代』に連載中であった『湖沼学入門』*3講談社文庫)中の一章「梅雨涸沼」に、こうある。
五月十一日の朝、梶山季之が香港で死んだ。それからあとが、ちょっとヒドイことになった。自分が自分でないような生活が続いた。どうやって、そこのところを切り抜けてきたのか、わからないようになった。やはり、何かが私を動かしてきたとしか言いようがない。(83頁)
やはり山口さんは訃報によって動転し、我を失っていたのである。そのはてに上記「経緯」の文章が成されたことを思うと、このしずかな文章の紙背に満たされている悲しみが痛いほど伝わってくる。
ところでこれら一連の「追悼文」のなかで、もっとも印象に残った文章は次のものだ。「ある町のホテルで」の一節で、梶山に直言できる人間として自分のほか結城昌治さんもいたとして、梶山の通夜でのこんな情景を書きとめる。
彼(梶山―引用者注)は自分が死んだときの情景を書いているのであるが、結城昌治は受付に立っていて、山口瞳は奥で酒を飲んでいることになっている。それだから、結城さんは、病弱で目も悪くしているのに、どうしても受付に立つと言って皆を驚かせた。私は、仕方がない、奥に坐って飲み続けていましたよ。(207頁)
病弱だろうと糖尿病だろうと、亡き親友が自らの通夜の情景を書いた姿そのままに振る舞おうとする二人の男の姿に胸を打たれた。
文庫版解説の高橋呉郎さんが、梶山の小説「李朝残影」が直木賞にノミネートされたものの落選したときのことについて、面白いエピソードを紹介している。
山口さんが『江分利満氏の優雅な生活』で直木賞を受賞したすぐ次の第49回(1963年)のこと。有力候補として梶山のほか瀬戸内晴美さんもいたのだが、結局二人とも落選してしまう。落胆した梶山は一人で銀座の超高級酒場に入ったところ、偶然「選考委員の長老」と鉢合わせた。梶山が一人で飲んでいるとそばに長老がやってきて、「あんたと瀬戸内には、賞はやらんよ」と告げたという。梶山はこれを聞いてかえってすっきりしたという話だが、それにしても壮絶な“直木賞エピソード”の一つではないか。
こういうゴシップが大好きな私としては、この「選考委員の長老」とは誰なのか、詮索したくてウズウズしてくる。豊田健次『それぞれの芥川賞 直木賞*4(文春新書)の巻末データでさっそく選考委員を調べたら、このときの選考委員は以下の10氏だった。

長老というからには最初のほうに書かれてある人間の可能性が高い。川口松太郎小島政二郎あたり、やはりいろいろと悪名高い小島政二郎なのだろうか。