『食味風々録』から弥助鮨へ

千本桜―花のない神話

今日も阿川弘之『食味風々録』*1新潮文庫)の話である。といっても今回は、この本と別の本がシンクロしてつながったという話。
本日配信された「書評のメルマガ」vol.159の連載「かねたくの読まずにホメる」で私は「千本桜を見直す」と題し、渡辺保さんの『千本桜―花のない神話』*2(東京書籍)を取り上げた。仁左衛門の「すし屋」(丸本歌舞伎「義経千本桜」の一段)を観て、それまでの「すし屋」に対する認識を改めたことと、古本で入手した『千本桜』のなかに、「すし屋」のモデルとなった大和下市の釣瓶鮨屋「弥助鮨」のリーフレットが挟み込まれていたというささやかな邂逅譚である。リーフレットの情報として、かの釣瓶鮨屋は八百年を経たいまでも「旅館弥助」として営業中であり、「もちろん弥助鮨(鮎鮨)は土産物としていまでも拵えられている」と付け加えた。
ところが、これを草した直後に読んだ『食味風々録』中の一文「鮨とキャビアの物語」により、弥助鮨はすでに生産が中止されたことを知った。したがって上に引用した一節は取り消さなければならない。
関西風押しずし(「押しずしの上へ重しを置いて、二、三日寝かせて、独特の味とくさみを醸し出したような鮨」)の原型を求め、阿川さんはくだんの「弥助鮨」に行きつく。京都に行く機会を得たので吉野まで足を伸ばし、大和下市なる旅館弥助を訪れた。出迎えたのはリーフレットに登場していたと同じ第48代目のご当主。釣瓶鮨の来歴をひととおりレクチャーしたあと、阿川さんの希望を叶えられない旨が告げられた。

だけど、今の若い人の多くが馴鮨の臭いをお嫌いになりますのと、釣瓶のかたちした曲物を拵える職人がいなくなってしまったのとで、うちでも十年ほど前、作るのをやめました。食べてみたいとの御希望のようですが、昔風の馴鮨を出す店は、日本中にもう一軒も無いと思いますよ。(251頁)
渡辺さんの本が出たのは1990年。そのあとリーフレットが先の持ち主によって挟み込まれたものだとすれば(リーフレットには年記なし)、八百年続いた弥助鮨最末期の宣伝チラシだったということができよう。
ところでこの弥助鮨に触れた「鮨とキャビアの物語」もまた話題豊富な楽しいエッセイだった。志賀直哉の有名な「小僧の神様」に触れてすし種としての鮪の脂身がいつから上等の部類に入ったのかという疑問から説き起こし三田村鳶魚の江戸ばなしを引く。
さらに話柄はすし種全般に及び、それ自体は美味しいのにすし種として使われない魚介類は何かということになり、「いくら」があるのならキャビアだって飯に合うはずだと推測し、確かめようとした思い出話が披露される。さらに実際キャビアを銀座の名店久兵衛に握らせた谷川徹三のエピソードを紹介し、日本人と「すし」なる食べ物の関わりを歴史的に遡って上記馴鮨にたどりつくのである。
永嶺さんの本と同様、面白い本は周辺の本を引き寄せる実例がまた一つ加わった。