芥川賞・直木賞物語

それぞれの芥川賞 直木賞

豊田健次さんの新著『それぞれの芥川賞 直木賞*1(文春新書)を読み終えた。豊田さんは元文藝春秋の文芸編集者で、取締役・出版総局長までつとめた重鎮。国立在住で山口瞳さんを中心とした在住者のサークル、いわゆる“国立山口組”の一員である。以前「山口瞳の会」例会でお見かけしたが、バイタリティのある、快活そうな方という印象をもった。
有名編集者による著書ということで思い出すのは、元講談社大村彦次郎さんによる“文壇三部作”であろう。『文壇挽歌物語』以下を面白く読んだ者としては、文藝春秋編集者という立場から見た文壇史的読物を期待してしまう。文春といえば、本書のタイトルにもある芥川賞直木賞という二大文学賞を擁するわけで、文壇史エピソードの宝庫だろうからだ。実際豊田さんは両賞の下読み委員だったという。
ところが本書はそうした私の期待とは少し違う方向性を持ったものだった。豊田さんが担当編集者だったり、個人的に親しかった作家と両賞との関わりを回想した二章から構成されている。第一章は「野呂邦暢芥川賞ショーブ日記」、第二章は「山口瞳向田邦子の優雅な直木賞」。前者は野呂の代表作『諫早菖蒲日記』、後者は山口の『江分利満氏の優雅な生活』をもじってある。野呂・山口・向田三氏は相互に親交があった。
第二章は向田邦子直木賞受賞と衝撃的な死を山口瞳との絡みで回想するもので、山口さんのエッセイでこのあたりの事情を知っている私にとってはとくに目新しいものではなかった。
これに対して興味深いのは第一章。念願の『文學界』の編集部に配属されて張り切る新進編集者(豊田)と、文壇デビューを目指す地方在住の作家志望者(野呂)という30歳前後の二人の青年が、いい文学作品を生み出そうと二人三脚で取り組む様子が、豊田さんに宛てられた野呂の120通余りの書簡の一部を紹介しながら回想されている。
編集者に注目され、書簡を往復して小説の推敲を重ねながら作品を創りあげ、また芥川賞候補となって一喜一憂、同世代の新進作家の活躍を横目で気にしつつ、上京して編集者や作家仲間たちと直接会って刺激を受けながら、少しでも前作を上回る力作を書こうと悩む作家の姿が生々しく書簡のなかから立ち上ってくる。自分のなかで醸成されつつある野呂邦暢という作家への興味がますます大きくなってきた。
本書全体の分量の三分の一弱を占めるのが、巻末に収録されている芥川賞直木賞の全データである。第1回から、先日金原ひとみ綿矢りさ京極夏彦江國香織各氏が受賞した話題の第130回まで、受賞者・作品の初出・候補作・選考委員などのデータは見ていて飽きない。
この種のデータで思い出すのは、やはり編集者として両賞に深く関わった永井龍男『回想の芥川賞直木賞*2(文春文庫)収載のもの。むろん同書は刊行当時の昭和56年第86回分までしか収められていない。本書のデータはいわばその追補版だが、驚いたことに同書は、豊田さんが『文學界』編集長のとき同誌に連載されたという因縁があることが明かされている。すなわち正統なる後継者であるわけである。