「高峰秀子」という荷物

高峰秀子の捨てられない荷物

斎藤明美さんの高峰秀子の捨てられない荷物』*1(文春文庫)を読み終えた。
著者の斎藤さんは『週刊文春』の記者として高峰さんと出会い、その後『オール讀物』への連載懇願などを通して徐々に接近、斎藤さんのお母さんが病気で亡くなるという出来事を機に、決定的に親しくなった。以来十余年、斎藤さんは高峰さんを「かあちゃん」、夫である脚本家松山善三さんを「とうちゃん」と呼んで親子のような付き合いをするに至る。
こう書くといかにも高峰秀子という人間は包容力が着物を着て歩いているような印象を与えかねないが、基本的に高峰さんは「非常に警戒心と猜疑心が強い人」であり、「人を疑ってみる」ということだけが己を守る術だと心得ている人であるという。
幼児に産みの母親が死ぬと同時に父の妹である叔母のもとに養女として引き取られ、以後5歳で子役として銀幕デビュー、酷烈な養母や甘い蜜に群がる親類縁者たちの鬼畜ぶりを見ながら人間の本性を冷静に受け入れてきたという人生経験がそうさせるものだ。徳川夢声は子供の頃の高峰さんを「あゝ利口じや気の毒だ」と評した。
斎藤さんも、何の障害もなく松山・高峰夫妻の懐に飛び込んでいけたわけではない。感情の起伏が激しく包容力のある高峰に甘えきっているうち、高峰のほうで生来の人間に対する警戒信号が点滅し、突如あかの他人のごとく突き放される。人間嫌いの高峰さんが、自分に近づいてくる人間を極度に警戒し、はねつける様子を読むと背筋が寒くなるほど。寄稿を求める編集者との付き合いなどもそうで、筋が通っていて間違いはないのだけれど、「そこまで冷たくあしらわなくても」と思ってしまうのだった。
そうした試練をくぐり抜けてきた斎藤さんのことだから、女優を55歳で実質的に「引退」したあとの松山氏との楽しくも夫婦愛に満ちた日常生活や、苦難の前半生の思い出話など、高峰さん・松山さんという二人の人間の個性あふれる姿を通して見事に活写されている。
以前私は高峰秀子さんは「風采のあがらない薄倖な役柄が素晴らしい」と書いた(→1/20条)。この考えを変えるつもりはないが、本書によって高峰さんの前半生を知るにつけ、軽はずみな発言をしてしまったことが恥ずかしくなる。自伝『わたしの渡世日記』(文春文庫)をいよいよ読まねばなるまい。
高峰さんは女優という仕事を早くやめたいと考えていたという。しかし生きているかぎりスター女優としての高峰秀子は誰の記憶にも残っている。

この人は、我々のような正真正銘の“普通”の人間にはわからぬ重い荷物を背負ってきたのだ。“高峰秀子”という荷物を。(231頁)
年齢を重ねるごとにひとつひとつ背負っていた荷物を捨てながら生きてきた。最終的に最後の、そして最大の荷物“高峰秀子”を下ろすには死を待たねばならない。巻末には著者と高峰さんが肩を組んでベンチに座っている写真(松山氏撮影)が掲載されている。これを見て私は少なからぬショックを受けた。高峰さん76歳の写真。写っているのは紛れもなく「老婦人」。上品さがただようのはまず当然にしても、痛々しいほどやせ細っている。
川本三郎さんの『君美わしく―戦後日本映画女優讃』*2(文春文庫)にある近影はその6、7年前(70歳前後)だが、その往年の面影が残ってふっくらした感じの写真と比べると、失礼ながら、老いたり、という印象は否めない。斎藤さんとツーショットの写真を見ただけで心が騒ぎ出す。そのあとのことは想像したくない。高峰さんは「余計なお世話よ」とおっしゃるかもしれないが。
ところでいま触れた川本さんの本のなかに、「女優に殉じた田中絹代と、女優であることに距離を持った高峰秀子(19頁)という一節があった。先日読んだ『小説 田中絹代』を思い合わせ、二人の大女優の生き方の違いを知って、ますます映画への関心をつのらせたのであった。