大女優と大監督

小説 田中絹代

二泊三日で出張に行ってきた。その一週間ほど前から、出張に持って行く本をどれにしようかとあれこれ悩みとおした。旅の道連れに持って行く本を選ぶ作業ほど、悩ましくかつ楽しいものはない。
こういう機会でないと手がつけられないかもしれない骨のある長篇にしようか、長らく気になっていた短篇集にしようか、読む時間を忘れさせるほどの牽引力が期待される書き手のエッセイ集にしようか、肩肘張らない読み物にしようか、今回はとくに何度も取っかえ引っかえした挙げ句ようやく決まった。読書途中の本にプラス2冊を旅行鞄につめこむ。
読書ができる出張もあれば、全然読めない出張もある。今回は残念ながら後者だった。一日十数頁読むことができた程度。3冊はおろか、読みかけの1冊すらはかどらない。帰りの新幹線は疲れ切って、弁当を食べたらそのまま深い眠りに落ちるのが常で、今回も連日の寝不足が重なっていたにもかかわらず、上記のようなフラストレーションがたまっていたせいか、ほとんど寝ずにたっぷり二時間、本を読み通した。読みかけだった本をこれで読み終えることができたのである。
読み終えたのは書影を掲げた新藤兼人さんの『小説 田中絹代*1(文春文庫)。同じ映画人としての立場から、周辺の人間への取材と自らの見聞にもとづいて描き出した大女優田中絹代の評伝小説である。最近日本映画づいていることもあって、戦前・戦中・戦後の映画界の雰囲気、また松竹の撮影現場、映画会社の制度といった知識欲を満たしてくれるすこぶる刺激的な評伝だった。
最近観た映画で田中絹代が出演した作品は何本かあった。しかしながらいずれも女優としての人気のピークを過ぎた戦後のもので、主役ではなく、したがって印象も薄い。大女優という一般的評価に加え、私個人が田中絹代に対して持っていた印象は、ひと言で言えば「おしっこ」だ。
座敷におしっこをしたというエピソードが強烈な印象として残っているのだが、ネットを頼りに記憶をたどり直すと、おそらくそれは吉永小百合田中絹代の一代記を演じた映画「映画女優」(1987年、市川崑監督)制作のとき、果たして吉永小百合はこのシーンを演じるのだろうかという下世話な関心がマスコミの注目を集めていたことで記憶に残ったものだったと思う。ちなみに「映画女優」は本書が原作とのこと。
さて、いまひとつ田中絹代でかすかに憶えているのは最晩年の「サンダカン八番娼館」(正式タイトルは「サンダカン八番娼館・望郷」)での演技である。いま本書巻末の年譜を見ると、この映画は74年公開とのことだから、当時私は7歳。たぶん何年後かにテレビで放映されたときに見たのだろう。子供心に「この人が往年の大女優と言われた人なのか」と訝しく思った。
本書を読むまで、以上二つの記憶が混線し、「サンダカン八番娼館」のなかで田中絹代がおしっこをする演技をしたとばかり思っていた。本書を読んでその記憶の混線がようやく解消された次第である。ごく若い頃に結婚した清水宏監督との夫婦喧嘩で悔しまぎれに畳の上におしっこをしたというのが真実だ。
本書は冒頭四章分が戸板康二さんの『久保田万太郎』を思わせる「その○○」という章タイトルで統一されたテーマ横断的な評伝スタイルとなっているが、その後はタイトルから「その」という語は消え、時間を追って彼女の生涯を描いたものになっている。
下関に生まれ大阪で育った絹代の家は豊かとは言いがたく、そこから松竹の面接試験を受け採用、大部屋女優から一歩一歩階段を上って十数年で看板女優の地位までのぼりつめてゆくサクセスストーリーは読んでいて爽快感がある。この間前述の清水監督との悲劇的な結婚生活も差し挟まれる。
清水監督との結婚生活のくだりもそうだったが、著者新藤監督は田中絹代には「淫蕩の血」が流れているとして、華麗奔放な男性遍歴も赤裸々に綴られている点、大女優の評伝小説としては何ともスキャンダラスで衝撃的だった(これはたんに私が知らないだけかもしれないのだが)。清水監督と破綻した後結婚せずに死を迎えた絹代にとって、結婚寸前だった唯一の人物が、溝口健二監督である。新藤監督は溝口監督の下にいたということもあって、本書『小説 田中絹代』の半分(は言い過ぎにしても、少なくとも三分の一)は『小説 溝口健二』であるといっていい。
私は溝口健二作品を観たことがない。「西鶴一大女」「雨月物語」などの代表作の世界にはどうも親しみが持てないのである。しかし本書で、溝口監督の性格や映画制作の現場、女優田中絹代との葛藤などを興味深く読んだことで、俄然溝口作品が気になってきた。
むろん女優田中絹代も同じ。観た映画も映画なので、これまで田中絹代を美しいと感じたことはなかったのだが、本書に多く掲載されているスチール写真やスナップ写真を見て、いまさらながら、魅力的な人だなあと惹かれるものを感じたのである。
新藤監督は「あとがき」で、田中・溝口二人に共通した考え方についてエピソードを交えて紹介している。病気になったとき、田中絹代はうなぎを食べさえすれば元気になると信じ、溝口はカツレツを二枚食べれば二枚分の効力が現れるというように、医学的根拠によらない信念を持っていたという。この二人をこう評する。

仕事というものは、気力充実しなければ突っ込んでいけないと信じ、体力は食うことだと思いこんでいるのだ。これは幼時の困窮が育んだ感覚である。(374頁)
溝口は若い頃から放蕩無頼の生活を送り、女性関係も派手だったという。絹代も前述のように男性関係はつつましやかとは言えない。そんな両者の関係は、不思議とプラトニックで純情なものだったという。だからこそ二人が結ばれるとき、そこには強烈な磁場が生まれる。二人がベネツィア映画祭に出席したときに初めて結ばれた場面は壮絶なまでにエロティックである。
さて女優田中絹代のよさをほとんど知らない私であるが、幸い彼女も多く出演した小津映画を録りためてある。本書のなかでは、小津映画での田中絹代については地味にしか描かれていないけれども、まずは手近なところから女優・田中絹代に接近してみたい。