本に対する執着心のなくし方

駈け出しネット古書店日記

インターネットの発達によって、新刊・古本を問わず、実際の店舗に足を運ばずとも家にいながらにして書籍購入が可能となる時代が到来した。
それだけでない。“Amazon”や“Easy Seek”のようなネット通販大手のシステムを利用すれば、一般の個人が自分の本を売りさばくこともできる。「売る」立場と「買う」立場の壁が低くなり、これまで「買う」一方だった立場の人間も簡単に「売る」立場に越境することができるようになったわけである。かくして実際の店舗を持たないいわゆる“ネット古書店”が増加している。
こうしたシステムを使って、私も自分の蔵書を売ろうかなと考えたことがないわけではない。生活は楽とはいえないし(本を買わなければいいという一番単純で効果的な考え方はこのさい念頭においていない)、日々増える本によって部屋が浸食されつつある。それらを売ってお金に換えれば一石二鳥。
もちろんそんなに飛躍せずとも、古本屋に買い取ってもらうという選択肢もある。ただ車を持っていないし、送ったり取りにきてもらうにしても、それに見合うだけの分量が必要だ。その点ネットだと一点ずつ売り買いでき、しかも自分で値付けできるというメリットがある。
しかしこの思いつきはいまだ実現するに至っていない。お金のやりとりはそれなりの心構えが必要だし、本の送付(対応や梱包)についても誠実さがいる。ネット古書店から本を購入するたびにそれを痛感する。いまのところそうした手間をかけてまで本を売ろうという余裕がないのである。
野崎正幸さんの新著『駈け出しネット古書店日記』*1晶文社)は、ライターの仕事の実入りが激減した著者が一念発起してネット古書店を開業し、経営してゆく様子を日記スタイルで記述した面白い本だった。野崎正幸さんという方は寡聞にしてこれまで知らなかったが、本書に掲載されている『ダカーポ』の一頁書評や交友関係などを見ると、ことさら私の関心と離れた場所にいる方でなく、むしろ近いところにいる方であることを知って驚いた。知らずに野崎さんの文章を読んでいるかもしれない。
2001年1月1日に古本屋開業を決意し、日記は2003年11月11日まで、足かけ三年にわたる日記が収められている。
古本屋を営むにあたって、買い取りできるようにするため古物商の許可を得る。また郵便局に振込口座を開設する。それには法人登記が必要といわれ(のちにガセだと判明)、一時は合資会社まで設立する。いっぽうサイト立ち上げの準備のためホームページ作成ソフトの勉強をし、運転免許をとるために(買い取りで車の運転が必要となる)自動車学校通いを始める。
このように、ゼロからネット古書店を始めるためのさまざまな手続きが克明に記されるので、今後同じようなことをやろうとする場合の参考書となるだろう。
その後野崎さんの店「文雅新泉堂」は地域の古書組合に加入し市場で本を仕入れたり、またデパートの古書市にも出品するなど、活動を幅を広げてゆく。
売れた売れないの悲喜こもごもはもちろん、送付時のトラブル(送る本を間違える)や注文を受けた本が見つからないなどのミス、また料金後払いにしていることもあり、なかなか代金を払い込まない人を裁判所に訴えるなど、結構波瀾に富んでいる。
古物商許認可・車の運転免許取得などの条件が揃うまで、ひとまず売物となるのは自らの蔵書である。市で仕入れをする前まではそれがメインでもあっただろう。自分がたとえばネットで古本屋を開業しようと考えた場合、一番躊躇するのがこの点にある。たとえいま読まなくとも、将来的に必要となるかもしれない。一度読んだ本でも、再読したり参照したいと思うことがあるかもしれない。そう思うと簡単には売りに出せないのだ。野崎さんはその点をどう克服されたのか、気になった。
本書の後半に掲載されている『図書新聞』でのインタビューで、野崎さんも最初は「自分の肉を切っているみたいな感じ」があったが、買って読まないままの積ん読本だと、これをずっと置いていても、もうこの先読み返さないだろうと思うと、「売れてもいいや」という気分になって、それが積み重なって本への執着が薄れたと語っている。
目録に載せても売れなければ手元に残る。いわば自分の蔵書のままである。しかしいったん目録に載せた以上は売物であるわけで、たとえ「将来読むかもしれない」などと考えても、注文が来たら未練を捨てて手放さなければならない。目録に掲載した時点で、その本への愛着をいったん断ち切ることになる。
古本屋に処分するような、その本に対する断ち切り方が唐突なやり方はなかなかふんぎりがつかない。だから、ネット古書店のような方法でじわじわと自分の本に対する執着心を薄めていくというのも一つの手かもしれないと思ったのだった。