寄席の紳士たち

寄席紳士録

小林信彦さんの『名人―志ん生、そして志ん朝*1(朝日選書、→1/25条)には安藤鶴夫の名前が頻出する。概して好意的である。わけてもその著書『落語鑑賞』が多く取り上げられているのだが、あいにくその本は持っていない。
次に読む本は何かないものかと書棚に目をはわせていたら、ちょうどそのことを思い出し、スライド書棚の常に表面に出ている場所に並んでいる“安藤鶴夫コーナー”に目がとまった。コーナーといっても白背の旺文社文庫6冊にちくま文庫の『巷談 本牧亭』があるささやかなものに過ぎないが。
せっかく安藤鶴夫の名前がひっかかったのだから読もうと思った。読み始めたのは『寄席紳士録』旺文社文庫)。本書は平凡社ライブラリーで再刊されており*2、それも持っているが、文庫版で読むことにした。記録を見ると99年下半期に購入している。長いこと放っておいたものである。
「寄席」の「紳士録」という逆説的なタイトルの本書で取り上げられている「紳士」たちは十数名。十数名などと言葉を濁したのは女性も含まれているからである。ほとんど故人だが、唯一古今亭志ん生だけ存命なのに一章さかれている。理由は志ん生が死ぬまで待っちゃァいられねえから」。また芸人以外でも、『巷談 本牧亭』の主人公湯浅喜久治のために一章あてられる。
たぶん、その道に詳しい人ならば当然知っている名前ばかりなのだろうが、私にとってはほとんど知らない人ばかりだった。悲しい、もしくは哀しいという色合いで染めるだけでは不十分だが、哀愁ただよう芸人たちの姿が、安藤鶴夫独特の語り口調でスケッチされる。七代目三笑亭可楽を取り上げた第9話など、終始くだけた口語調で、そのまま高座にのってもおかしくないのではないかというくらい。
私としては、こんなエピソードを知っただけでも、まず本書を読んだ価値があったと思うのだ。

ある時、まだ大正天皇が皇太子の頃であった。鍋島邸で柳一(記憶術の名人一柳斎柳一…引用者注)が御前演芸をした時のことである。
寄席と違って、可成りむずかしい題が出た。中に「太公望秀吉」という洒落た題が出た。客席から「十三番」という声がかかると、柳一はすずしく、
渭水に針を垂れ、矢矧の橋に眠る」
と答えた。
すると、客席にいた桂太郎が、
「おいおい柳一、違うぞ違うぞ、十三番は太公望秀吉じゃ」
するとまた皇太子が大きく首を振られて、柳一の答えでいいのだという意味の意思表示をされた。(16頁)
二代目の三木助は踊の巧い落語家だった。からだに踊があるので、なんの落語をしていても形のいいひとだった。
「落語家はな、踊をちゃんとやらなあかん」
といっていた。(224頁)